「博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて水爆を・愛する・ようになったか」

DVD(映画)「博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて水爆を・愛する・ようになったか」DR.STRANGELOVE OR:HOW I LEARNED TO STOP WORRYING AND LOVE THE BOMB 1963年 アメリカ 配給:コロムビア映画 製作・監督・脚本:スタンリー・キューブリック 原作・脚本:ピーター・ジョージ 脚本:テリー・サザーン 出演:ピーター・セラーズ ジョージ・C・スコット スターリング・ヘイドン キーナン・ウィン スリム・ピケンズ 上映時間95分 モノクロ DVD発売:ソニー・ピクチャーズ エンターテインメント DVD仕様:日本語字幕版&日本語吹き替え版

この前読んだ「ランド 世界を支配した研究所」という本の中で映画「博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて水爆を・愛する・ようになったか」の登場人物の内、ふたりがランド研究所関係者をモデルにしていると書かれていたので久しぶりに「博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて水爆を・愛する・ようになったか」が観たくなった。さっそくDVDを買ってきて観てみた。
この映画を最初に観たのは1974年11月10日(日曜日)だった。場所は池袋の文芸坐(旧)で同時上映は、「マルキ・ド・サドの演出によりシャラントン精神病院の患者たちによって演じられたジャン=ポール・マラーの迫害と暗殺」(1967年 ピーター・ブルック監督)で入場料は200円。
つまりこれは、「博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて水爆を・愛する・ようになったか」と並んで当時もっとも長かった邦題の作品を二本立てにしてみましたというなかなか粋な企画だったのである。加えてあまり上映の機会がない作品に光をあてる目的で「陽の当たらない映画祭」と銘打ったものでもあった。
ちなみに同じ日に文芸地下で「私は貝になりたい」「帝銀事件 死刑囚」の二本立ちもやっていてこちらも観ている。ということは一日に四本観ているわけだ。そのころ16歳で滅茶苦茶に映画を観ていた。本数もさることながら何でも観てやろう、という意気込み満点だった。何しろ家庭で気楽に映画がビデオで観られるなんて時代ではなかったから、「ぴあ」片手に必死で映画を追っかけていた。この機会を逃すともう一生観られないんじゃないか、という焦燥感みたいなものもあったが、何よりも映画が好きだったのだ。今は手軽にDVDとかで観られるようになったが、別に後悔することはない。だって楽しかったから。
それに今だってありとあらゆる映画が観られるわけではない。その証拠に「マルキ・ド・サドの演出によりシャラントン精神病院の患者たちによって演じられたジャン=ポール・マラーの迫害と暗殺」はどうやら日本ではDVDとか出ていないようだ。どこかの映画館で「博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて水爆を・愛する・ようになったか」と「マルキ・ド・サドの演出によりシャラントン精神病院の患者たちによって演じられたジャン=ポール・マラーの迫害と暗殺」」の二本立てをやってくれないものか。

さて38年振りの「博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて水爆を・愛する・ようになったか」である。(タイトルの途中に・が二つ入るのは昔からだろうか。よくわからない。一応このDVDの表記にしたがってみた)
16歳の少年は53歳の立派な中年男になったが、非常に面白く観ることができてめでたしめでたしである。正直言って16歳のころどんな感想を抱いたかはもはや遠い記憶の彼方なので比較できないのが残念だ。とりあえず53歳の感想をここに残しておきたい。次の38年後は91歳か、まだ映画観て喜んでいるかな。シネコンやDVDはどうなっているだろう。91歳までこのブログ、存在してるかな。いや、それどころか私自身も存在しているかどうか。まあ、心配するのは止めておこう。

DVDのパッケージには「ブラック・コメディの傑作」とある。確かに傑作ではあるが、コメディとしては笑えるようなところはほとんどない。登場人物の大部分が常軌を逸したようなおかしなものばかりで、そのうえオーバーアクションなのでとても笑えない。とりたててすぐれたギャグがあるとも思えない。ではつまらないかと言うとそうではなく、終始異様な緊迫感があって飽きさせない。その緊迫感も普通のサスペンスものの緊迫感とも少し違う。どこか非常に歪んだ感じを受ける。とにかく他に似た映画を思い出せないような特異な作品である。

今回、注目したのは「ランド 世界を支配した研究所」で指摘されていたランド関係者をモデルにした件である。一人はランド創設の立役者である空軍ルメイ将軍。どうやら映画の中でジョージ・C・スコット演じるタージソン将軍のモデルらしい。やたらに居丈高で好戦的で反共主義者である。
もう一人は、ランドで戦略分析を担当した軍事理論家ハーマン・カーン、これはもろにストレンジラブ博士(ピーター・セラーズ)だ。「ランド 世界を支配した研究所」によれば、「キューブリックはカーンの著作物からあまりに多くをくすねたため、カーンはキューブリックに対して使用料を要求した。」(132ページ)とある。そう、カーンのキャラだけではなく、その軍事理論も巧みに映画に反映しているのだ。映画のクライマックスでストレンジラブがぶち上げる地下核シェルターでの生き残り戦術はこの本で書かれているまんまだし、「皆殺し兵器」(ドゥームズディ・マシン)の概念もそっくり。これは抗議を受けてもやむを得ないレベルだ。そもそもアメリカ生まれアメリカ育ちのユダヤ人ハーマン・カーンをドイツ生まれでいまだにヒトラー総統への忠誠心を失わないストレンジラブのモデルにすること自体、相当に悪意ある行為である。ここまでやるか。キューブリックの発案なのかテリー・サザーン(脚本)の発案なのか知らないが、実にえげつない。だが、面白い。

久々に観たのでいくつか感想を書き留めておこう。

既成曲の使い方の巧さ。今作では「ジョニーが凱旋する時」と言う曲を核兵器搭載機の飛行シーンのBGMに使い効果をあげている。「ダイハード3」でも大々的に使われていて非常に印象的だったが、作り手はこの映画に影響されたかな?とにかく、気分が高揚する曲である。
「フルメタル・ジャケット」の「ミッキー・マウス・クラブ」、「2001年宇宙の旅」の「美しき青きドナウ」や「ツァラトゥストラかく語りき」、「時計仕掛けのオレンジ」の「雨に唄えば」等々、キューブリックの既成曲の使い方の斬新さには感服する。

役者の使い方。「ロリータ」に引き続いて、ピーター・セラーズに思う存分演技させている。「ロリータ」は作品的にはどうかと思う出来だったが、セラーズの怪演のみ記憶に残った。今作は、セラーズに一人三役演じさせ、セラーズもそれに応えた快演ぶりである。特にストレンジラブはまさに映画史に残る役だ。出番は本当に少ないのに映画が終わった後で一番残るのはこの役なのである。
強面のジョージ・C・スコットのコミカルなオーバーアクションも面白いし、妄想に取りつかれたジャック・D・リッパー将軍役のスターリング・ヘイドンもいい。
共産主義者が水道水にフッ素を入れた、という妄想そのものも面白い。おかげで「ミネラルウォーターしか飲まない」と言う人に会うと、即座に「リッパー将軍みたい・・・」と連想してしまう癖がついてしまった。色々と忘れたところがある映画だが、リッパー将軍とストレンジラブに関わりがあるところは割と覚えていた。

タイトルについて。なぜ私は心配するのを止めて水爆を愛するようになったのか。この「私」というのはストレンジラブのことだろう。心配がなくなったのは核シェルターで生き延びるという目算が立ったから、というふうに解釈した。

ストーリー自体は非常にシリアスなのに役者のオーバーアクションと演出によって非常に異様な映画になってしまった希有な映画である、と思う。
不思議なことに人類が壊滅するというのにちっとも悲しくもなく不快でもなく、なんだか楽しい気分にさせてくれるようなそんな映画だ。







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