『一人称単数』 村上春樹の最高傑作「ヤクルト・スワローズ詩集」

『一人称単数』

(注意!)ネタバレあり

つづき

「ウィズ・ザ・ビートルズ With the Beatles」
これも「僕」の思い出話。年を取るということは、単に自分が老人になるということだけではなく、自分の周りの同世代の人たち、とくに若く美しく溌溂とした少女たちが孫を持つ年齢になってしまうということ。それは「僕」の抱いていた夢が死ぬことだ。という前置きがあって、「僕」が高校生の時、校舎の廊下ですれ違った美少女のことが語られる。彼女はビートルズの「ウィズ・ザ・ビートルズ」とレコードを胸に抱えていた。彼女を見かけたのはそれきりで二度と会うことはなかった。という話ともう一つ、同じく高校生の時に「僕」が初めて付き合った女の子の家に行った時の話がある。彼女と待ち合わせたのだが、何故か彼女はいなくて彼女のお兄さんがいて、何故か「僕」は芥川龍之介の「歯車」という小説をお兄さんに朗読する羽目になるという展開。そのあと20年後の後日談がある。投げ出した感じのオチが特徴の村上春樹にしてはきちんとしている感じがする。ビートルズと芥川龍之介の組み合わせが非凡。

「「ヤクルト・スワローズ詩集」」
エッセイのようであり、フィクションのようであり、単に村上春樹のヤクルト・スワローズ愛を吐露しただけのようでもあり、村上春樹が自分の人生を語ったようでもある不思議な作品。紛れもなく傑作、現時点における村上春樹の最高傑作と言っていいのではないか。
それにしても、村上春樹は文章が上手いなあ。ヤクルト・スワローズを題材にしてこれだけ淀みなくすらすら書けて、適度のユーモアを交えて笑わせて、しかもそのユーモアが自虐寸前でとどまっているのが素晴らしい。決してヤクルト・スワローズを茶化しているのではなく、愛しているというのがよくわかる。愛しているからこそ美辞麗句じゃない真実の言葉で詩ができる。
そもそも、ヤクルト・スワローズをテーマに詩を書いてしまうというのは超弩級の天才にしかできない技。

「謝肉祭(Carnaval)」
「僕」が出会ったなかで最も醜い女性の話。と言うと、村上春樹が今のご時世にずいぶん大胆なものを書いたな、色々批判がありそうとか他人事ながら思うのだが、話の中身はそれほど大胆ではなく、まあよくある話。深く突き詰めた話ではなく、「僕」の人生の寄り道のような話。出だしではちょっとびっくりするが、美醜についてどうのこうのいうほどではない。


「品川猿の告白」
温泉地にやってきた「僕」が鄙びた、というか老朽化した小さな旅館で出会ったのは、人間の言葉を話す猿だった。
これはもう、このアイデアだけで「満点!」と言いたい作品。どこか、つげ義春の温泉ものマンガのパロディみたいでもある。つげのマンガのタイトルをもじれば、「非リアリズムの宿」というところか。
品川猿と名乗る、その老いた猿が語る自らの人生、いや猿生の話が次第に猿の女性関係に話になってくる。その品川猿によれば、雄である彼は雌の猿に性欲も恋情も持たないのだという。その代わりに彼は、人間の女性に性欲や恋情を抱くという。ただ、どんなに彼が人間の女性に恋してセックスしたいと思ってもそれは叶わぬこと。それで彼はその気持ちを満たすために女性の名前を盗むのだという。念力で名前を盗み自分のものにして満足を味わっている。なんという奇想!
これはいかにもオチらしいオチがついて終わる。映画化希望。最近、猿と共演したディヴィッド・リンチ監督で。

「一人称単数」
めったに着ないスーツを着てネクタイを結んで外出した「私」は、これまで一度も入ったことのないバーに入ってお酒を飲みながらミステリー小説を読んでいると、突然見知らぬ女性から「そんなことしていて、なにか愉しい?」と声をかけられる。そこには明らかに敵意があり、悪意があった。彼女は言う。
「よく考えてごらんなさい。三年前に、どこかの水辺であったことを。そこでご自分がどんなひどいことを、おぞましいことをなさったかを。恥を知りなさい」
「私」には全く身に覚えのない話だった。
思い出話が目立ったこの短篇集のラストに置くには実にふさわしい話。過去をなつかしんだり、美化したりする話ではなく、過去からの悪意の襲撃。しかも全く記憶にないことで。一種のホラーとして秀逸である。一人称単数 [ 村上 春樹 ] - 楽天ブックス
一人称単数 [ 村上 春樹 ] - 楽天ブックス

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0

この記事へのコメント