『猫を棄てる』 村上春樹版ファミリーヒストリー

エッセイ『猫を棄てる 父親について語るとき』村上春樹著 文藝春秋 2020年4月25日第1刷発行
2020年7月29日(水)読了

(注意!)ネタバレあり

70歳を越えた村上春樹が、今まであまり語らなかった父親について書いた本。
NHKの番組ファミリーヒストリーの村上春樹版とでも言おうか。父親・村上千秋の人生のうち、特に学生時代に徴兵されて戦場に行った時のことを詳しく調べてその足跡を辿っている。ただ、それはあくまでも外側だけのことで戦地で20歳の若い男がどんなことを考えていたかその内面は分からない。小説だったら、如何様にも想像して創造できるが、これはそうではない。戦後、息子の春樹にはそんなに戦争の話はしなかったとのこと。ただ、唯一と言っていいのは、自分の所属していた部隊が捕虜の中国兵を処刑したというエピソードだけは語ったという。

そもそも村上千秋は、本来なら学生なので卒業するまでの4年間は徴兵猶予を受ける権利があったのだが、その正式な事務手続きを忘れていたのだという。あくまでも事務手続きのミスに過ぎないのだが、ことが進むともはや訂正できなくなった。そんな経緯で戦地に送られる若者もいたのか。
そして、この若者は学生の頃から俳句に目覚め同好会に入っていて、それで戦地でも俳句を書き、それを日本に郵便で送っていた。厳しい行軍をして戦闘もあったろうに、俳句を書いていたというのがにわかに信じられないが、特に軍隊で禁じられずに日本まで送れたというのも驚きである。

「鳥渡るあああの先に故国(くに)がある」
「兵にして僧なり月に合掌す」

これが戦地で書かれた句であるという。

この本では、父親の兵隊時代については事細かに書かれているが、戦後の人生についてはさらっと流している。戦後は教師として生き、生徒にも慕われるいい先生だったとはあるが、昭和24年(1949年)生まれの村上春樹にとっていい父親ではなかったと見える。特に春樹が作家になった以降は絶縁状態だったようだ。かろうじて和解という風になったのは、父親が90歳で春樹が60歳になろうとする頃だったというからこれは相当に長いしこじれた関係だ。この本を書いたのも、何年か前に父親が亡くなって自分も70歳になって何か区切りがついたからか。
「そのような父と子の葛藤の具体的な側面については、僕としてはあまり多く語りたくない」とある通り、具体的なことは書いていなくてぼかしたままだが、父も子も頑として譲らない似た者同士な感じを受ける。

この本のタイトル、『猫を棄てる』というのは結構ショッキングなタイトルと受け取る人も多いかもしれない。この本の冒頭、春樹が少年時代に飼っていた猫を父親と一緒に海辺に捨てに行ったエピソードから取っている。掴みの部分で読む人をドキッとさせるのは、王道で実に心憎いばかり。まあ、2020年の時点で見れば、自分の家の飼い猫をわざわざ海辺まで捨てに行くなんて実に酷い話だと、猫好きではないぼくでも思うけど、昭和30年代初め(1955年ころ)だったらありふれた話かもしれないなと納得。それにこのエピソードには、ちょっとホッとするオチがつく。
猫を棄てる話で始まったこの本は、ラストは高い松の木に上って降りられなくなった子猫の話で終わる。実に上手い。猫で始まって猫で終わる。なんて律儀なことだ。文学的余韻が残る。そして、猫を棄てる話よりも残酷で恐ろしいのがまた上手い。
父親ついて語ってきた話をこういう形で着地させるとはまさに名人芸。猫を棄てる 父親について語るとき [ 村上 春樹 ] - 楽天ブックス
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