S・S・ヴァン・ダイン『僧正殺人事件』を読む 「だあれが殺したコック・ロビン?」

『僧正殺人事件』THE BISHOP MURDER CASE 1929年 S・S・ヴァン・ダイン著 日暮雅通訳 創元推理文庫
2018年3月31日(土)読了

(注意!)ネタバレあり

再読。『ベンスン殺人事件』同様、中学生の頃以来、久々に読んだ。こちらも新訳である。昔読んだ井上勇の訳書よりも格段に読みやすくて、一気呵成に面白く読んだ。ただ、井上勇訳同様にわけがわからないところは依然としてある。それは訳のせいじゃなく、もとからあるものだと思われる。

デビュー作『ベンスン殺人事件』から4作目ということもあってか、著者の「読ませる技術」は格段に上がっていて、最初から最後まで面白く読める。『ベンスン』は単発の殺人事件であったが、こちらは奇々怪々な連続殺人。しかも、マザー・グース見立てという趣向。謎解きの興味に主に重きを置いていた『ベンスン』がやや鈍重だったのに比べ、謎解きプラスサスペンスで話を盛り上げてくれる。紆余曲折、二転三転の展開も誠に面白い。
ただ、著者が書き慣れてきたのに対して、名探偵ファイロ・ヴァンスのユニークな個性が次第になくなり、割と普通の名探偵になってしまった感がある。物的証拠、状況証拠に頼らない、「5分で犯人が分かった」と大見得切っていた『ベンスン』とはずいぶん様変わりした。ファイロ・ヴァンスが捜査協力する地方検事マーカムや殺人課部長刑事ヒースともだいぶ打ち解け、チームワークが良くなった。傲慢な物言いも少なくなり、頻繁に口にしていた引用句も激減。まあ、立て続けに事件が起きるのでそれどころじゃなかったのだろうが、あんまりまともになったファイロ・ヴァンスというのもなんだかなあ、である。

心理学的探偵法というのもあまり言わなくなった。一応、ファイロ・ヴァンスは最初から犯人は数学者であると心理学的に目星をつけていたようだが、登場人物に数学者が何人もいるので絞れなかった、というのだ。
そこが著者の狙いだったようだ。非常に頭がいい理数系の天才たちばかりのなかで起きた殺人、というおよそ一般性をまるで持ちえない、登場人物にあまり感情移入できない設定にした点は非常に面白い。しかもその殺人が、子どもの遊びのようなマザー・グース見立てなのが一層興味深い。老人が子どもの振りをして殺人ゲームを楽しむといった感じだ。

登場人物がさほど多くない上に次々に殺されていくので、正直なところ、犯人の意外性はさほどではない。それよりも犯人の人間像、および犯行動機が意外というか、わけがわからないところが、実はこの作品が高く評価される所以だろう。嫉妬や野心といった比較的分かりやすい要素が犯人の動機に含まれるが、そもそも何故マザー・グースなのか、何故次々に殺して行ったのか、本当のところは分からない。あくまでもファイロ・ヴァンスの推理の範疇にとどまる。

「ファンタスティックで一見信じられないようなこの殺人事件は、抽象的思索に緊張をしいられ、情動を抑圧した生活にはけ口を与えざるをえなかった数学者が計画したものだ」
とファイロ・ヴァンスは断言するのだが、「ちょっと、それ、数学者が聞いたら怒るよ」と言いたくなる。でも、思い切りよくそこまで踏み込んだのは面白い。

瀬戸川猛資は、『夢想の研究』のなかでこの犯人に触れ、外見上の特徴などからアインシュタインをモデルにしたのではないかと推理している。その伝でいけば、作中に登場する脊椎彎曲症の天才学者はホーキング博士に思えてくる。もっとも、ホーキング博士が生まれたのは1942年でこの小説が出版された13年後なので全く関係がないのだが。
虚構を現実が模倣する。

推理小説としてこれがよく出来ているとは言えない。どうも緻密さに欠ける。例えば、検屍官がある人物の死を自殺と断定したにもかかわらず、ファイロ・ヴァンスが何の証拠も根拠もなく他殺として話を進めるあたりはどうかと思う。
でも、ラストで正体を現す犯人の異様さ、怖さが全てをかっさらって行ってしまう。こまけえことはどうでもいいんだよ、という気分にさせる。89年前の小説だが、今でもやっぱりこの犯人像には衝撃を受ける。
名作して傑作、そして問題作。

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