アガサ・クリスティー『アクロイド殺し』を読む カボチャが空中を舞う

『アクロイド殺し』THE MURDER OF ROGER ACKROYD 1926年 アガサ・クリスティー著 羽田詩津子訳 ハヤカワ文庫 
2018年3月27日(火)読了

(警告!)ネタバレ、犯人バレ、オチバレ、トリックバレ、ディティールバレ、しています。この小説を未読の方は、以下の文章を読まないことを強くオススメします。

何年振りかの再読。細部は忘れているが、さすがに犯人は忘れていない。探偵小説(という言葉、使いたくなる)史上、もっとも物議を醸した「意外な犯人」だから。ずっと昔からフェアかアンフェアか、さんざん言われてきた。
さて、犯人を分かったうえで、今さらこの探偵小説を読んで面白いだろうか、こういうのは再読に耐えるのだろうか、と思いながら読んでみた、犯人目線で。気になるところは付箋を付けながら。
で、結果として、非常に面白かった。やはり古典名作と言われることはある。そして、決して古くてありがたい遺跡ではなく、今でも十分に新しいと思った。

解説の笠井潔の文章が非常に示唆に富み、刺激的である。目からウロコと言っていい。当たり前のことを言っているようで、実は案外盲点だったと気付く。

「作者によって仕掛けられた最大のトリックは「ワトソン役=犯人」や「語り手=犯人」ではない。『アクロイド殺し』の独創性は、手記を一人称小説に見せかけ、読者の臆断を誘い、最後まで読者を騙しぬいた点にある。「小説=手記」トリックが先行し、「ワトソン役=犯人」や「語り手=犯人」トリックは、その副産物として生じたにすぎない。」

なるほど。これが殺人犯が書いた手記ならば最終章を除いては殺人の告白をせずに、徹底的に自分の犯行を隠蔽しているのも当然か。フェアかアンフェアか以前の問題かもしれない。
殺人そのものもそうだけど、被害者がディクタフォンを買ったこと、ラルフ・ペイトンの隠れ場所、などについても一切触れていない。ディクタフォンの業者が来たことは前の方に出て来るが。
要するにこの世で最も信頼できない作者による手記だったわけだ。へイスティングスのような曇りない善意の人とはまさに真逆だ。これじゃ、作中に提示されたデータから犯人を見抜くなんて不可能だ。犯人(自分自身)に不利なことは全然書いていないわけだから、
ただ、最終章で手記の作者である犯人が「巧妙に書かれている」と自画自賛するように、「空白の十分間」のくだりなど、確かに事実しか書いていない(が、書かなかったこともある)ので注意深く読めばあるいは犯人を指摘できるかもしれない。
瀬戸川猛資が、『夜明けの睡魔』で指摘していたように、この小説には「客観性」というものは全くない。そこに瀬戸川猛資は疑問を呈していたが、ぼくはむしろ「客観性ゼロ」というところに改めて感動を覚える。その徹底ぶりに。
そうなって来ると、ラストでポアロの宣告を受けて、犯人は自ら死を選ぶような文章になっているのも疑わしい。ここではそう書いているが、実は死ねずに逃亡したということもあるかも。とにかくこの犯人の言うことは信頼できないから。そこをどう見るか、一種のリドル・ストーリーになっているようにも思える。

フェアかアンフェアか、ということを離れてみて、今回読んで一番注目したのは、犯人の人間像。犯人の手記に出て来る犯人(自分自身)は、お姉さんに頭が上がらないほど気弱、冷静沈着に物事に対処し、きちんとして真面目、職務(医師)に忠実な人というものだが、これはあくまでも世間に見せたい自分である。終盤のポアロの推理で浮かび上がる殺人犯としての姿はまるで違う。冷静沈着ではなく、冷酷非情。
そもそもアクロイド殺しは周到に練られた計画殺人なのである。アクロイド自身に何ら悪いことはないが、犯人にとって非常に都合の悪い人間になりそうなので先手を打って殺した。全く同情の余地はない。しかも殺した後で、犯行時刻を誤魔化すためにディクタフォンを使い、更に電話を使うことによって、アリバイ工作とディクタフォン回収を行い、さらにさらに、他人に罪をなすりつけるために他人の靴で足跡を偽装する、加えて被害者の背中に刺した短剣に被害者の指紋を付けて捜査の混乱を狙う、といくらなんでも策を弄しすぎ、トリック多すぎ。あまりの多さに笑ってしまう程。これって、古典的探偵小説のパロディの意味合いがあるんじゃないだろうか。
犯人を巡る人間関係も面白い。周囲の人間の何人かが秘密を抱え、その秘密のために怪しい言動を取ったりするので余計混乱する。犯人の預かり知らぬところで別の犯罪(窃盗)が行われ、それを隠蔽するために嘘を言ってしまうというのも面白い。殺人犯と何の関係もない人間が、結果的に犯人のアリバイ工作に役立っていたという皮肉。よりによって、殺人があったその夜に屋敷から離れた東屋で全く無関係な二組のカップルが時間差で密会し、屋敷では殺人とは別に窃盗があったという、何という偶然。リアリティーという点ではどうなもんか、だが、これもパロディと思えば面白い。
事件に関係ない所でもコメディタッチな部分はあって、例えばポアロと犯人が初対面するシーンでは、カボチャが空中を舞う。

この犯人って、今で云うサイコパスに見えて来る。手記を最後まで読んでもあまり罪悪感がないようだし、ポアロがカボチャ栽培のためにこの村に来なけりゃよかったのに、みたいな嘆き節があるだけっていうのもどうも普通の感覚ではない。他人の命も自分の命もそんなに重く受け止めていない。それもあってだろうか、ポアロが犯人にたいして自殺するように示唆するのは、犯人の性格を見抜いたか。

古典的探偵小説であると同時に古典的探偵小説のパロディでもあり、古典であると同時に現代的でもある。まさに名作であり傑作であり、永遠の問題作。

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