スタニスワフ・レムを読む1 『ソラリスの陽のもとに』 女性としてのソラリスの海

SF(小説)『ソラリスの陽のもとに』SOLARIS スタニスワム・レム著 飯田規和訳 ハヤカワ文庫 1977年4月30日発行 2005年9月30日30刷
2017年12月21日(木)読了

(注意!)ネタバレあり

Eテレでやっている『100分de名著 ソラリス』を見ていて、久々に再読したくなり、取りあえず手元にある飯田規和訳の文庫を読んだ。昔の印象からもっと難解で晦渋なエビラみたいな作品かと思っていたのだが、Eテレの沼野充義先生のお蔭か、あまり引っかからずにスラスラ読めた。立派にエンターテインメントしているではないか。所謂「名作」の堅苦しさはなく、非常に面白く読むことができた。やっぱり傑作である。

小説は、主人公クリス・ケルビンの一人称で語られる。冒頭は、彼がソラリス上空の宇宙ステーションにやってくるところから始まる。だけど、この人物はそれほど際立った個性の持ち主ではない。主人公らしい大活躍をするわけでもないし、事態を解決するような頭の働きを見せるわけでもない。割と普通の平凡な男。むしろ、敢えてそうしたのだろう。異様な出来事の数々に翻弄される男という設定にはピッタリだ。

如何なる事態が、宇宙ステーションで起きているか、全く知らないままに到着したクリスの立場は、この小説を読む読者の立場でもある。そこが上手いところだ。やがて明らかになる異様な事態の正体。そして、クリスもまた否応なくそれに巻き込まれていく。

ソラリスの海が、人間の潜在意識を具現化した「お客」をクリスの前に出現させる。それは、クリスの10年前に死んだ妻ハリーの姿をしていた。
それまで、どこか緊張感をもって、サスペンスを盛り上げてきたオハナシは、ハリーの登場以降、恋愛要素を加味していく。この辺をよりクローズアップしたのが、タルコフスキーによる映画化作品『惑星ソラリス』なのだ。
勿論、原作もそういうところは当然あるのだが、あくまでもレムは、ファーストコンタクトテーマのSFとして描いている。そこをちゃんと注目しないと、死んだ妻との幻想的恋愛譚と勘違いしてしまう。ま、どう作品を受け取ろうと読者の勝手だが。

この小説で、人類が出会うのは、惑星ソラリスの広大な海が一つの有機体=生物であるという存在。全く人類の理解の及ばない異星の謎の生命体。何と言っても、これがこの小説最大の魅力だろう。全くコミュニケーションできない未知の存在は最後まで未知のまま。
もっとも、コミュニケーションできないと思っているのは人類の方だけで、実は海は、「お客」を使ってコミュニケーションしているつもりかもしれない。だが、それも定かではない。
SFにおいて、さまざまな異星人、異星生物が登場してきたが、おそらくこれが最も理解しがたい存在だろう。ただ、どこかに壁を乗り越える可能性もあるような気もする。小説のラストで、ソラリスの陸地に降り立ったクリスに接触して来る波の描写が素晴らしい。これが、海のクリスに対する求愛行動のようにも思えてくる。

男であるクリスの視点から描かれているので、海は女性なんじゃないかという気もする。

出現したハリーも、かつて存在した女性ハリーそのもののコピーではなく、クリスの潜在意識の中のハリーのコピーだというのが面白い。どことなく、男にとって都合の良い女性に見えてしまうのがミソ。クリスの自責の念の入った恋愛劇に付き合ってやっている感。どこか自分の意志がないような。ただ、それでも最後は、クリスの同僚スナウトに機械で消滅させてもらう。自我がめざめたのか、クリスの重荷にならないようにそうしたようなのが悲しい。いや恐ろしい。
ソラリスの海以上に男にとって理解しがたいのは、女性だ。

過去にソラリスを探検した男の証言で、ソラリスの海に赤ん坊が浮いていたというのがある。しかもその赤ん坊は、4メートルの巨大さ。何となく『2001年宇宙の旅』のスターチャイルド、思い出す。クラークもキューブリックも当然ながらレムのこの小説を読んでいると思われる、影響あたえたかな?
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