『英国諜報員アシェンデン』

小説『英国諜報員アシェンデン』ASHENDEN OR THE BRITISH AGENT 1928年 サマセット・モーム著 金原瑞人訳 新潮文庫 平成29年7月1日発行 平成29年9月2日(土)購入 平成29年9月3日(日)読了

(注意!)ネタバレあり。

初めて読む。「地味」とか「あまり事件が起きない」とか「スパイの日常が淡々と描かれる」とか言う世評を何度か読んでいたので、何となく読む気にならなかったのだが、新訳が出たついでに読んでみた。
これが面白い。さほど地味ではなく、結構派手な展開もあるし、事件は結構起きるし、スパイの日常が色々とスリリングで面白い。

アシェンデンという名の作家が、英国諜報機関にスカウトされ、諜報活動を行う話。主人公は一貫してアシェンデンで、彼が体験した、見た聞いた、知りえたことだけを描く。三人称だけど、主人公の視点からのみ見ているので一人称に近いスタイルと云えよう。
体裁としては、長編というより連作短編集という感じ。もっとも、一章に一つの話とは限らない、何章かにまたがる話もある。一章で凄く短く終わる話もある。

時代は、第一次世界大戦中。アシェンデンは、主にスイスを拠点にして行動している。勿論、指令があれば、どんな国にも赴く。それが任務だから。指令を出すのは、諜報部のRという男。この辺は、後のジェームズ・ボンドのMが踏襲している。
永世中立国スイスには、アシェンデンだけではなく、さまざまな国のスパイ、亡命者、犯罪者、革命家などがホテルの宿泊していて、スイス政府及び警察は、中立の立場を守るために彼らを監視し、時には逮捕している。この辺の事情がよく描かれていて、スイスの内幕を知ることができる。

以下、印象に残った話の感想を記する。

第三章 ミス・キング
スイスのジュネーブのホテルに泊まっていたアシェンデンのもとに、同宿していたエジプトの王子の家庭教師で英国人のミス・キングという老婦人から「会いたい」という知らせが来る。ミス・キングは危篤状態だという。彼女の元に行ったアシェンデンが聞いた彼女の最期の言葉は・・・。
スパイものらしい怪しい展開なのにオチで外してみせるというギミックが効いている。

第四章~第六章 ヘアレス・メキシカン 黒い髪の女 ギリシア人のスパイ
三章で一つの物語。ヘアレス・メキシカンと呼ばれる凄腕の男にアシェンデンが同行し、イタリアのナポリでギリシア人のスパイを殺し、重要書類を奪取する話。ヘアレス・メキシカンの強烈な個性とそれに辟易しているアシェンデンの対比が面白い。そして、ラストの一行はこんなアシェンデンの言葉で鮮やかに締める。

「ばか野郎。殺したのは違う男だ」

そのときのヘアレス・メキシカンの反応とか、その後、どうなったかは一切書かれていないのが面白い。

第七章、第八章 パリ旅行 ジュリア・ラツァーリ
反英国を掲げる武装集団のリーダーであるインド人を捕まえるために、彼の愛人であるイタリア人の踊り子ジュリア・ラツァーリに目を付けたRは、アシェンデンに彼女を移送する任務を命じる。
ヘアレス・メキシカンの件では受動的な立場だったアシェンデンが、ここでは結構活躍する。女の気持ちを上手く利用してインド人を罠にかける頭脳的な作戦が面白い。アシェンデンは基本的には、自ら暴力を振るうとか、銃撃戦行うとかはない。そういうのは他の人にお任せという感じ。その辺は、ジェイムズ・ボンドと違う。
これもラストの一行が上手い。ちょっと皮肉で辛辣ではある。

第九章 グスタフ
スイス在住の諜報員グスタフは、非常に有能で他の模範となる報告書を書く。そこに書かれた敵国ドイツに関する情報は有用なものが多く、その功績でグスタフは諜報部から多額のボーナスも貰っていた。だが、Rは何かおかしいと思い、アシェンデンに調べることを命じる。そして、グスタフに会ったアシェンデンが気付いた真実とは・・・。

スイスからドイツに頻繁に出向き情報を得ている筈のグスタフは、実はスイスから一歩も出ていなかった。ドイツ情報はすべて彼が想像力を働かせて創作したものだった!
よく出来たオチの短編。この皮肉なユーモアがいい。

第十章 裏切り者
スイス在住の英国人グラントリー・ケイパーがドイツの諜報員であり、英国の裏切り者である疑いがあり、それを探るべくアシェンデンがケイパーと彼のドイツ人の妻に接近する。実は、アシェンデンはケイパーを英国におびきだす餌だったという、アシェンデンにとっても皮肉な結末。
いかにも好人物そうなケイパーが何故祖国を裏切ったかについては、アシェンデンの推論があるだけで真実は分からない。この小説の話はみんなそうだ。あくまでもアシェンデンの思考が書かれているだけで、他の人が何を考えているのか言動で推し量るしかない。そこが面白い。

第十一章 第十二章 その背後で 英国大使
スパイものの要素は希薄な話。X国の英国大使ハーバート・ウィザースプーン卿の思い出話。頭が切れて極めて有能、将来を嘱望されたいた外交官の男が、恋に落ちたのはミュージックホールの曲芸師の女だった。身分違いの恋というか、『嘆きの天使』みたいな話。上昇志向とは真逆にこういう下降志向もあるということ。どうしようもないアバズレに心惹かれてしまう男の傲慢と純情。些か古いけれど、こういうのが好きな作家もいるという話。それなりに面白いけれど、スパイはどこ行ったという気にもなる。

第十三章 コインの裏側
タイトル通りの話。文庫本で8ページの短さ。諜報員がオーストリアの軍需工場を爆破する計画を立てるが、アシェンデンは結構をためらう。そこで、コインを弾きあげ、表だったら実行、裏だった中止とすることになる。コインは・・・。
リドル・ストーリー風に表が出たか、裏が出たかハッキリ明記されていない。

「じゃ、これで」アシェンデンがいった。

という一行で終わり。どうだったのかは読者が考えてということか。ま、裏でしょうが。

第十四章~第十六章 シベリア鉄道 愛とロシア文学 ハリントンの洗濯
ラストのこの一連の話が一番派手で、映画向き。革命時の動乱のロシアに入ったアシェンデンとアメリカ人ビジネスマン、ハリントンの物語。このハリントンなる人物を結構皮肉たっぷりに描いている。猪突猛進、ビジネス命で自分の信念を1ミリも崩さない男で最後は洗濯物に拘って命を落とす。皮肉はあれども、幾分かこの人物へのモームの愛も感じる。愚か者こそ可愛いという、あれだ。革命時のロシアの様相も興味深いが、ハリントンに持って行かれた感あり。 



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