『わたしを離さないで 第8話』 そして天使になる

ドラマ『わたしを離さないで 第8話』原作:カズオ・イシグロ 脚本:森下佳子 演出:吉田健 出演:綾瀬はるか 三浦春馬 水川あさみ 水崎綾女 鈴木梨央 柄本佑 麻生祐未
2016年3月4日(金)放送 TBS

(注意)ネタバレあり。原作のネタバレもあり。

いよいよ話もクライマックスへ。恭子(綾瀬はるか)、友彦(三浦春馬)、美和(水川あさみ)の三人は、生まれ育った陽光学苑を訪れる。今はかつての学苑は潰れ、同じ施設を使って全く違う「教育」がなされていた。いや、「飼育」というべきか。そこで三人は、生気がなく、感情を表に表わさない「生徒」たち(いや「家畜」というべきか)に出会う。特に三人に衝撃を与えたのは、幼い頃の恭子にそっくりの女の子。恭子が声をかけても死んだ目をして無表情のその子は何も答えようとしない。言葉さえ話せないのか。
恭子の少女時代を演じた鈴木梨央がこの役も演じているのだが、全く見事としか言いようのない恐ろしい演技。こういう非人間的な子どもを作り出して「飼育」している「外の人間」の非人間性こそをクッキリと浮かび上がらせる。
原作にも生まれ育った母校を三人が再訪するシーンはあるが、ここまで踏み込んだシーンではなかった。かなり思い切った改変で、だいぶ原作と違って来た感じがするが、これはこれで非常に面白いし、怖い。

後半部は、いよいよ美和の最期の「提供」である。この辺の話の流れは原作にもあるのだが、大きく違うのは、「提供」に赴く美和がにわかに感情を激変させ、恐怖に怯え、恭子にすがろうとするシーンである。原作では、みんな淡々と「終了」していったのに、これまたかなり思い切った改変。もうこの辺りは原作とは別物と言っていい。
前半部で感情のない子どもたちを見せて強烈な印象を与えたのがここで生きてくる。
だが、「提供」=解体される「家畜」にとって、感情がないのが幸せなのか、恐怖や悲しみという感情がある方が幸せなのか、答えは提示されない。そもそも「家畜」に幸せがあるのかさえも。

ここで初めて美和の口から、「わたしを離さないで」という言葉が恭子に投げかけられる。タイトル名をこういうクライマックスで満を持してという感じで使うとは、アッパレである。勿論原作には、こんなシーンはない。あくまで「わたしを離さないで」というのは、CDの中の曲のタイトルに過ぎない。
でも、ここでこのセリフを叫ばせたことに無理矢理感はない。むしろ非常にピッタリしている。話の内容にもテーマにも。そして、美和という女性を表現するにも「わたしを離さないで」というのは実に的確なセリフだ。彼女は、ずっと恭子に対して「わたしを離さないで」と言い続けてきたようなそんな感じがする。
単に「終了」=死の恐怖が言わせた言葉というだけでなく、これが精一杯の美和の恭子への愛の告白なのだ。
美和を演じる水川あさみの迫真の演技がとにかく素晴らしい。

そんな美和に対して恭子は学苑時代に恵美子先生が言った「天使」という言葉を使って呼びかける。自分たちは他の人のために自分の身を犠牲にする崇高な使命を帯びた「天使」なんだと。
恵美子先生が、その言葉を使うと美辞麗句を弄した「偽善」に思えたのだが、この最終局面で恭子が言うと、違って響きがある。ここで「天使」を持ってくるとは思ってもみなかった。何という脚本の上手さ。
理不尽極まる「終了」を迎える美和を少しでも励まし、心の平静に役立てる言葉が「天使」であるというのも皮肉だし、実に残酷。だが、誰でも最期くらいは自分の気持ちを納得させる言葉が必要なのだろう。

美和が「終了」して、恭子は友彦の介護人になる。友彦の病室を訪れた恭子は、長年の思いを晴らすかのようにキスをしてセックスをする。ここはとても心和むシーン。既に2回の「提供」をして体が弱っている友彦を気遣ってか、恭子の方が上になって(つまり騎乗位で)セックスするのは恭子の優しさがよく表れている。これだったら、恭子が主導して友彦があまり動かなくても済むから。感動した。


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