ディズニー映画を見る1 『シンデレラ』 たとえどんなに世界が残酷であっても

映画『シンデレラ』CINDERELLA 2015年 アメリカ ディズニー提供 監督:ケネス・ブラナー 脚本:クリス・ワイツ 出演:ケイト・ブランシェット リリー・ジェームズ リチャード・マッデン ヘレナ・ボナム=カーター ノンソー・アノジー ステラン・スカルスガルド デレク・ジャコビ ベン・チャップリン 日本語字幕版(翻訳:吉田由紀子) 上映時間105分
2015年4月25日(土)日本公開
2015年5月16日(土)鑑賞 新宿ピカデリーシアター2 午前9時の回 座席D-7 入場券(当日券)1800円 プログラム720円

(注意!)ネタバレあり

あまりにも有名な童話の実写映画化である。どんなふうに料理してあるのか、興味津々で観に行った。
観てみると、意外なほどストレートに作ってあって余計なひねりとかはあまりない。ただ童話そのままというのでもなく、21世紀に生きる人間に伝わるようにある種、現実的な視点から作られていて、観ていて非常に腑に落ちるというか感心する出来栄えになっている。
傑作である。

ヒロインのエラの幸福な少女時代は、愛する母の死によって暗転する。やがて時が経ち、父が再婚し、継母とその連れ子である姉妹と同居することになる。そして、旅先での父の死。
それからというものエラは、継母とその娘姉妹が支配する屋敷において使用人同然の扱いを受ける生活を送ることとなる。
もともと父とエラが暮らしていた屋敷なのに乗っ取られた形になってしまい、家事全般を強いられるというのは理不尽な話。でもこういうことってありそうだなと思ってしまうのは、尼崎の事件とか思い出すからだろうか。しかもエラの場合、義理の関係とは言っても親は親、継母に逆らえないのだろう。家族というものの恐ろしさである。善良でない者が家族を支配したら、家庭は地獄と化す。そのあたりが非常に現実的で面白い。
この映画ではエラをいじめる側の継母も描写している。エラと父が二人で亡き母の思い出を語っているのを盗み聞きした継母が見せる嫉妬とも悲しみともつかぬ絶妙の表情。さすがに名女優ケイト・ブランシェットを起用した効果は大いにある。映画の後半部にも彼女の演技の見せ場を作ってあり、そこでもこの継母の人間性を垣間見させるのが上手い。

エラ役のリリー・ジェームズはどうだろう。結構健康的でタフそうに見える。だからいいのかもしれない。過酷な重労働や陰湿ないじめに決して挫けない感じがして。これがか弱くて神経質そうな薄幸の美少女タイプだったら可哀想で見ていられない。その点、リリー・ジェームズは真逆なタイプに見えるので見ていて安心。あの太い眉を見るだけでタフな感じがよく伝わってくる。たとえどんなに世界が残酷であっても生き抜いていく女性だ。

リリー・ジェームズが美人かどうか、大いに議論が分かれる問題であると思う。正直言って絶世の美女とまでは言えないとぼくは思う。だが、ドレスを着てても分かるその胸のふくらみを見ると顔の美醜とかは些細なことではないかとも思う。おっぱいは全てを凌駕して人類の前に君臨する。ぼくはただひれ伏すのみ。

この映画では、エラと王子が最初に出会うのが森の中ということになっている。原作のように初対面は城の舞踏会ではないのである。これも上手いアレンジだと思う。こういう下地があってこその舞踏会での再会で盛り上げるというやり方。思えば、デイズニーアニメの『白雪姫』でも初めの方で白雪姫と王子が出会うシーンがあった。原作のように死体になった白雪姫に初めて会った王子が好きになるという死体愛好癖の変な話ではない。

それ以外は概ね原作童話と同じ流れ。魔法使いが現れてエラに魔法をかけて舞踏会へというお馴染みのオハナシ。ただ本で読んだり、アニメで見るとロマンティックな感じなのだが、それを実写でやると結構生々しくてグロテスクなものになるというのを痛感した。カボチャを馬車にして、あとはネズミ、トカゲ、ガチョウを変身させてというのがもうなんというかグロ趣味というか、とても気に入った。
童話にあった義理姉妹の目玉を抉り出すとか、足の指や踵を切り落とすというグロで楽しいシーンの方は残念ながらこの映画では存在しない。

それにしても誰もが知っているこの物語をストレートにオーソドックスに描いていくだけなのに面白く見せてしまうというのは大したものである。ラストもどうなるか当然分かっているのに全く白けずに結構のめり込んで見て、ハラハラドキドキする。いかにも胡散臭く怪しい大公のステラン・スカルスガルドや安心安定の悪女ケイト・ブランシェットが何かやらかすんじゃないかと勘繰ってしまうせいか。何しろステラン・スカルスガルドをこの前見たのは、あのラース・フォン・トリアーの怪作『ニンフォマニアック』だもの、無理もない。

このところどういうわけかディズニー映画に出てくる王子はろくでもないのが多かった。『アナと雪の女王』『マレフィセント』『イントゥ・ザ・ウッズ』とそれが続いたので今回はどうかなと思ったが、普通にまともな王子さまだったので安心したと同時に今度は物足りなくもなった。

エラがラストで幸福なのは、王子と結婚したことによって今までの家族と縁が切れたからだ。家族内の人間関係で悩む人はこの映画を見たら勇気づけられるとも思う。
「家族は諸悪の根源である」とは太宰治の名言。

エラが舞踏会に着ていくドレスがないので亡き母のドレスを縫い直して着るシーンを見ていて、スティーヴン・キングの『キャリー』を思い出した。映画版『キャリー』でクロエ・グレース・モレッツがプロムに着ていくドレスを自分でミシンで縫うシーンがあったっけ。そうか、キャリーはシンデレラを下敷きにしていたのか。今まで気づかなかった。日常的ないじめに遭っている少女が、お城の舞踏会(ハイスクールのプロム)に参加するのだが、とんでもないアクシデントがあってというプロットが同じだ。ただシンデレラは幸福になるがキャリーは地獄に堕ちる。スティーヴン・キングの何たる悪意。

プログラムによるとケネス・ブラナー監督はこの映画を作るうえで
「『夜と霧』の作者で、アウシュビッツ強制収容所の生き残りであるヴィクトール・フランクルにも影響を受けました」
と語っている。『夜と霧』とシンデレラか。まるで結びつかないようだが、それが結びつくのが表現者たる者なのか。

プログラムを読んでいると出演者にイギリス生まれが多いことに気付く。ヒロインのエラ役リリー・ジェームズは勿論のこと、国王、義理姉妹、国王の黒人の家臣、エラの父母、魔法使いといった主要人物を演じた俳優が揃って。継母のケイト・ブランシェットはオーストラリア、王子のリチャード・マッデンはスコットランドとこれまたイギリスに関係ある国の人。ステラン・スカルスガルドはスウェーデンだけど。
見事にアメリカ生まれがいない。イギリス人監督ケネス・ブラナーの意向なのだろうか。あるいは原作の童話がヨーロッパ発祥なのでアメリカ人を排したか。どうもディズニーの毎度おなじみのヨーロッパ・コンプレックスを感じるのだが。

この映画、最近では珍しくラストにTHE ENDと出る。それがこの映画によくマッチしている。
ということでぼくの文章も、THE END。







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