『日本文学100年の名作 第2巻幸福の持参者』 関東大震災のあとで起きたこと

短編集(アンソロジー)『日本文学100年の名作 第2巻1924-1933 幸福の持参者』池内紀・川本三郎・松田哲夫編 新潮文庫 2014年10月1日発行
2015年1月2日(金)読了

(注意!)ネタバレあり

アンソロジー、15編収録。

「島守」(1924年・大正13年)中勘助
都会に嫌気がさし、辺鄙な土地に移り住んだ男の話。情景描写とその土地の人々との交流が心に残る。中勘助は、人間嫌いと度々言っているが、これを読むとやっぱりどこかに人間を信じ愛しているのが分かる。
★★

「利根の渡」(1925年・大正14年)岡本綺堂
享保の初年である。利根川のむこう河岸、江戸の方角からいえば奥州寄りの岸のほとりに一人の座頭が立っていた。(本文より引用)
その盲人は、岸で乗り降りする人々に声を掛ける、
「もし、このなかに野村彦右衛門というお人はおいでなされぬか。」
と。毎日、毎日、一年、二年、三年と。実は彼はその男に復讐しようとしていたのだ。彼の両目を潰したのはその男だったから。

復讐のための執念。日々、太い針のような物を磨いでは生きた魚の目に突き刺している盲人の姿が鬼気迫る感じ。面白い。ラストは一種、怪奇小説的なオチがつく。
★★★

「Kの昇天」(1926年・大正15年)梶井基次郎
これはぼくには理解不能だった。


「食後」(1926年・大正15年)島崎藤村
関東大震災から1年後、東京から浦和に逃げ延びて暮していた老いた母親が東京の息子を訪ねる話。母親は、かつての自分たちの店舗(全滅した)に未練があるのだが、息子は仲間と新しい店を持ち、未来に進もうとしていた。
被災者で親子であっても考え方の相違があるというのを分かりやすく描いていて面白い。対立とまで行かないのが後味いい。
★★★

「渦巻ける烏の群」(1928年・昭和3年)黒島伝治
ロシア革命の直後の日本軍のシベリア出兵を描いた作品。確かにこれを題材にした作品は珍しいが、読んでいてどうもピンと来ず、面白くない。


「幸福の持参者」(1928年・昭和3年)加能作次郎
妻が近所の草花屋で買ってきた蟋蟀(こおろぎ)、その鳴く音は最初の夜こそ夫婦を慰め幸福にしたが、三日もするとそれがもはや厭わしいものに変わっていく。
人間の持つやさしい気持ちがごく簡単に酷薄なものに変貌してしまうさまを蟋蟀に託して描いて面白い。
解説で川本三郎も書いているが、つげ義春の「チーコ」(1966年)をどうしても思い出してしまう。
それにしても昭和3年の時点で蟋蟀は草花屋(昔は花屋をこう呼んでいたのか)で買うものだったのか。周辺に野原がない、という記述があるので、よほど都会だと思う。
★★★

「瓶詰地獄」(1928年・昭和3年)夢野久作
言わずと知れた夢野久作の傑作ではあるけれど、このアンソロジーで読むと何だかさほど面白くない。第1巻の江戸川乱歩「二銭銅貨」でも同じことを感じたのだが、所謂文学作品に挟まれているとどうも違和感があり、落ち着かない。不思議なものである。
★★

「遺産」(1930年・昭和5年)水上瀧太郎(みなかみたきたろう)
これも関東大震災のその後を題材にした作品。亡き父が高利の金貸しであり、生まれからずっと近所の人々に嫌われて来て、一切近所付き合いをせず、自宅の周囲を高い塀で囲って孤立して生活していた男がいた。ところが、震災でその塀が倒壊してしまい、隣家や近所の人と交流を余儀なくされてしまう。そして・・・。
今でいう引きこもりだろうか。父のことで他人に嫌われるから自分も人間嫌いになり、他人は全部敵だと思うというのは何とも悲しい話である。それが、震災をきっかけに周囲の人ととの「絆」が生まれる、わけではなくもっと酷いことになる。ラスト4行の皮肉で辛辣なしめくくりの鮮やかさ。
★★★★

続きはあとで。


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