「ヘルマン・ヘッセ 空の旅」 そして近しいものすべてが遠ざかった

エッセイ「ヘルマン・ヘッセ 空の旅」1994年 ドイツ ヘルマン・ヘッセ著 フォルカー・ミヒェルス編 天沼春樹訳 株式会社ゼスト  1999年4月10日初版発行
2013年6月1日読了

本書はヘルマン・ヘッセ「空の旅」(1994年)の全訳である。「ヘルマン・ヘッセと空」というテーマで集めた省察と詩のアンソロジーである。ヘッセのテキストは原書の60ページにもみたない短い散文と詩である。編者のフォルカー・ミヒェルスが解題として同ページ分の解説を付している。空を飛ぶ話だけに、いかにも薄くて、軽やかで可愛らしい本である。(81ページ 訳者あとがきにかえて より)

フォルカー・ミヒェルス
ドイツの出版社ズールカンプ社の編集顧問。ヘッセ研究の権威者。ヘッセの遺稿・書簡を整理し、「蝶」「人は成熟するにつれて若くなる」などを編集してヘッセの復権に貢献する。(表紙カバーの裏の折り返し部分の文章より)

ちょっと羊頭狗肉みたいな感じもしないではない。全180ページの本でヘッセ自身の手になる文章は50ページほどで全体の三分の一にも届かない。あとは、編者ミヒェルスがヘッセのエッセイの背景などを解説した「飛行機に乗ったヘルマン・ヘッセ」が50ページ弱、訳者天沼春樹が書いた「訳者あとがきにかえて」と「ツェッペリン年代記」が合わせて100ページ。つまり訳文よりも訳者が別個に書いた、しかもヘッセにさほど関係のない文章の方が長いのである。ちょっと珍しい本だ。でも、それなりにどの文章も面白いので腹を立てることはなかった。

ヘッセの文章では、「素晴らしい空中散歩」「飛行機に乗って」「空の旅」が特に面白い。

「素晴らしい空中散歩」は、ヘッセがツェッペリン飛行船会社に招待されて飛行船に乗ったときの体験記。1911年7月23日、日曜日の二時間の遊覧飛行をヘッセが心底楽しんだのが文章から伝わってくる。
飛行船というものからイメージされるのんびりゆったりしたものがヘッセにも感じられる。まさに古き良き時代である。そして、忘れてはならないのは、人間が空中から下界を見下ろす、という体験ができるようになったという驚きと喜びがここにある。長年見慣れていた地方の風景が全く違うように見えてくる楽しい衝撃。
ちなみにヘッセの文章によると、
「客室の窓は風防ガラスのない、オープンな大きな窓だったが、風の動きは少しも感じられない。だが、いったん窓から首や手をさしだしてみると、嵐のような疾風がふきつけてくる。」(13ページ)
とある。飛行船の窓は、オープン・エアだったのか!知らなかった。

「飛行機に乗って」は、1913年3月、ヘッセが初めて飛行機に乗ったときの体験記。
「このとき彼が乗ったのは単発の単葉複座機で、胴体もプロペラもすべて木製のものだった。」(64ページ ミヒェルスの文章より)「当時、発動機を搭載した飛行機はようやく試験段階を脱した段階」(同)
「(オスカー・)ビーダーは1913年3月から、スイスで初めての飛行機の遊覧飛行をはじめていた。200回におよぶデモンストレーション飛行の同乗者のなかで、もっとも有名人はヘッセその人だった。」(66ページ 同)
こういう段階で飛行機に乗るなんて意外にヘッセも新し物好きでしかも勇気がある。
ちなみにミヒェルスによれば、タイプライターを操って書いたドイツ初の作家はヘッセだという。
このエッセイでは飛行船ののんびり具合とは一変して、ヘッセの好奇心と冒険心に火がつかられたようでとても熱い調子で語れれていてとても気持ちいい。

「空の旅」は、時代がずっとあと、1928年4月10日にヘッセがベルリンからシュトゥットガルト経由でチューリッヒまで飛行機の乗ったときのもの。このころは旅客機による飛行の黎明期で、ヘッセが利用したドイツ・ルフフトハンザ航空会社もこのわずか2年前の1926年に開業したばかり。ここでもヘッセの時代を先取りした意識に驚く。
さすがに1913年のときの初々しさはないが、それもヘッセが空の旅を楽しんで驚きと発見について語っているのは微笑ましい。この時代に旅客機のプロペラの出す猛烈な騒音について触れながらもあえて甘受し耐えようとしているところもヘッセの良さ。

ヘッセ以外の文章では、訳者天沼春樹の書いた「ツェッペリン年代記」が面白い。そもそも訳者は、飛行船マニアらしく過去にも「飛行船ものがたり」という本を出しているほど。なのでこれは非常に興味深い読み物になっていていろいろ教えられることが多かった。
先に飛行船のイメージをのんびりゆったりとし、古き良き時代と書いたのだが、実はこの「ツェッペリン年代記」を読むとそんな甘い感傷は一気に消し飛ぶ。
飛行船は軍事と事情にかかわりが深く、ある時期は兵器として大々的に使用されていたのだ。こんなに具体的に書かれたものを読んだことがなかったのでこれには驚きだった。
そもそも飛行船の開発者のツェッペリン伯自身が元軍人であり、以前からあった偵察気球なるものも飛行船の発想のもとにあったという。極めて初期から軍事いようが視野に入れられていたのだ。それが、第一次世界大戦になると本格的に戦争に駆り出されて、実際にドイツ軍飛行船によるロンドン爆撃も行われ、多数の死傷者も出ている。あのいかにも優雅な飛行船にこんな過去が、という思いがする。
ただ、飛行船も残念ながら飛行機に攻撃されるとなすすべもなく、簡単に攻撃され炎上、撃墜されてしまう。結局、第一次世界大戦によって飛行船と飛行機の兵器としての優劣ははっきり決着がつけられるが、案外、兵器としてダメだ、となったことが飛行船にはよかったのかもしれない。
1929年(昭和4年)8月、ツェッペリン伯号による世界一周飛行の一大イベントなどまさに兵器でなく平和のシンボルたる飛行船の面目躍如であろう。このイベントには、スポンサーとしてあのアメリカの新聞王ハーストがスポンサーとしてついていて、さらに日本の新聞社も一枚かんでいる。こういうイベントには昔から日本人はとことん目がないようで、ツェッペリン伯号の日本到着の際の大歓迎ぶりなど、いかにもな感じ。外国の(しかも西洋の)目新しいものに弱いというオッチョコチョイなところが日本の美点だろう。
文章をこの辺りで締めくくって、その後のヒンデンブルグ号の悲劇はさらりと触れるだけなのも好印象。

それにしても、文中で天沼春樹が紹介していた1933年のアメリカ映画「地獄の天使」が見たくなった。あのハワード・ヒューズが製作した映画で、「ドイツ軍用飛行船の戦闘シーンをもっともリアルに描いている映画」だそうである。



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