「メトロポリス」 謎のYOSHIWARA

DVD(映画)「メトロポリス」

映画「メトロポリス」を観ると、まずその壮大なヴィジュアルに圧倒される。巨費を投じ、さまざまな人の英知を結集させて作られた未来都市、それと対照的な地下で労働者が働く巨大工場、いずれもがすぐれたイマジネーションの産物である。映画美術の一つの到達点といっていいだろう。
未来都市と言っても、高層ビルが立ち並ぶ無機質なところばかりではない。その一角には、「YOSHIWARA」と名付けられた謎の場所(建物?)がある。ラングやハルボウが、どこからヨシワラという名を聞いてきたかは知らないが、男たちの快楽の場ということであれば、こんなにピッタリな名はあるまい。
そこでは、半裸の女が踊り、狂騒的なパーティが繰り広げられている。この辺の描き方も実に先駆的である。

「メトロポリス」といえば、まず思い出すのが、あのロボットである。まあ、ロボットいうよりもアンドロイドと言いたいくらいな造形なのだが、それを女性型にしたところにこの映画の価値がある。いま見てもまったくほれぼれするような見事さだ。無機質で非人間的でありながらどこか女性らしさも兼ね備えている。最初にして最高のロボットだ。
そのロボットを作り出したのが、ロートヴァング(ルードルフ・クライン=ロッゲ)という科学者。いかにも典型的なマッド・サイエンティスト。片手が義手である彼を見た瞬間、「あっ」と思った。キューブリックの「博士の異常な愛情」のストレンジラブ博士の映画における元ネタはここにあったのか。そういえばストレンジラブ博士もドイツ人だった。ただ、ストレンジラブ博士はいざ知らず、ロートヴィングはどうやらユダヤ人のようだ。(彼の家の扉に星のマークがあった。)

「メトロポリス」はもちろん娯楽映画として楽しめる。スペクタクル巨編であり、ラブストーリーであり、サスペンスもあり、ディザスター映画ばりの派手なクライマックスもある。
と同時に作り手(なかでも原作・脚本のテルボウ)のメッセージ性がきわめて強い映画でもある。

格言:頭脳と手の間の媒介者は心でなければならない

冒頭に掲げられ、映画のラストでも繰り返される上記の言葉がハルボウが最も伝えたかったであろうメッセージなのだが、映画でこうもあからさまに教訓じみたことを訴えかけるというのはどうなのだろうか。娯楽映画を見るつもりの観客は戸惑うだけだろう。「メトロポリス」が、公開時に興行的にも批評的にも振るわなかったのは、こういうことも原因かもしれない。
また、この映画にはやたらに宗教的な要素が盛り込まれていると感じた。ドイツ人には抵抗なく理解できるのだろうが、キリスト教に縁のない私のような人間にはつかみがたいところがいくつかあった。

「メトロポリス」で一番心惹かれる登場人物といえば、やはりマリアである。地下の労働者階級に宗教的なことを教え諭すまさにマリアという名の通りの聖母。でも彼女、工場で働いていないけど、どういうポジションなのだろう。
それはともあれ、労働者たちに慕われている彼女に目をつけ、拉致監禁し、彼女そっくりのロボットを作り、偽マリアとして地下に送ったのがロートヴィングである。
ここから、マリア演じるブリギッテ・ヘルムの独壇場である。聖なるマリア、そしてそれとは正反対な邪悪な偽マリアの二人を一人で見事に演じ分けている。この映画の最大の見どころと言っていい。

労働者たちに慈悲の心で忍耐することを訴え続けてきたマリアと違い偽マリアはもう忍耐して待つことはない、行動の時だ、と労働者たちを煽動する。その恐ろしさ。だがもっと恐ろしいのは、そんな煽動にたやすく乗って暴動を起こしてしまう労働者たちである。自分たちの職場である工場を壊し、さらに自分たちの住まいである地下街に洪水まで起こし、自分たちの子供たちを危険にさらす羽目になる。そんなことにも気づかず、破壊の快感に酔い、踊り狂う労働者たち。だが、やがて偽マリアを糾弾するものが現れると、今度はその尻馬に乗り、偽マリアを追及するようになっていく。「子供たちを返してくれ」と。
どんな方向にでもいともたやすく煽動されてしまう実に愚かな民衆。集団になると冷静な判断がまったくできなくなる民衆。見栄えのいい指導者がいるとあっさりとそれになびいて熱狂的に支持する民衆。そんな民衆の駄目さ加減をフリッツ・ラングは実にエネルギッシュに狂的に描き出している。素晴らしくも恐ろしい。
1927年の公開時に観た人は、おそらく想像だにしなかったことだろうが、このあと何年もしないうちに現実のドイツにアドルフ・ヒトラーという名の偽マリアが登場し、人々を導いていくのである。それを思うと、ラングおよびハルボウの先見性は実に驚くべきものだ。

もっとも、ハルボウは熱烈なナチス支持者になったというから、ハルボウはヒトラーを偽マリアではなく、先の格言にあった頭脳(支配階級)と手(労働者階級)を結びつける媒介者=心と位置付けていたのかもしれない。

今回のDVDの映像特典(のうちのギャラリー)を見て一つ初めて知ったことがあった。ブリギッテ・ヘルムは、マリアと偽マリアの一人二役だけじゃなかったのだ。偽マリアのもとの姿であるロボットも実は彼女が中に入っていたのだ。ロボットの首から下のパーツを装着し、頭の部分は取り外して休憩している写真が見られた。
つまり一人三役ということだし、極めて初期のスーツアクターと言っていい。映画の主演女優がヒロイン、敵役にくわえてロボットの中の人だなんて映画が他にあるだろうか。

偽マリアがステージで乳房だけを隠した最小限の衣装でダンスを披露するくだりがあるのだが、その時の観客の表情演技が実になんともすさまじい。欲情を激烈にたぎらせている表情とでもいうべきものだが、その露骨なまでにオーバーな演技は無声映画ならではのものである。そういう演技だけとっても、無声映画と発声映画の表現はかなり違うものだということがわかる。

ハルボウ脚本の「ファントム」(F・W・ムルナウ監督)でも女優に一人二役をやらせているが、その二役の設定が曖昧なので趣向倒れに終わっていた。「メトロポリス」では、善悪相反する女性といういかにも図式的な設定にしたのが成功した要因である。バレエ「白鳥の湖」も善と悪を一人の女性が踊りわける。一人の女性の中に聖なるものと邪悪なものを見出すという昔からのパターンだが、実はパターンは強い。

偽マリアが民衆によって火刑に処されるシーンはジャンヌ・ダルクを思わせるが、偽マリアは狂ったかのように笑いながら燃やされていく。やがて、人の部分が燃え尽きロボットの本体が現れる。ここも素晴らしくエモーショナルなシーンである。

マッドサイエンティスト(ユダヤ人?)と彼の作った邪悪なロボットが滅び、支配階級と労働者階級の代表が媒介者の仲立ちによって和解し握手するというのは、きれいにまとまっているが、いかにも作者の理想という感じが付きまとう。

いろいろ不満もあるのだが、全体的にはこの作品に込められたラングとハルボウの異様な熱気に圧倒され、こちらも非常に気分が高揚した。公開から85年もたっているのに感動と興奮を依然として与えてくれるまさに異常なる傑作である。

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