「ボクには世界がこう見えていた 統合失調症闘病記」 僕が発狂した日

ノンフィクション(闘病記)「ボクには世界がこう見えていた 統合失調症闘病記」2011年 小林和彦著 新潮文庫 2011年11月1日発行
2012年3月13日(火)読了

「精神に障害をきたすとき、その目には何が映っているのか。
アニメ演出家だった青年が、自らの体験を綴った稀有な記録。」(帯より)

小林和彦。1962年(昭和37年)生まれ。早稲田大学卒業後、アニメ制作会社に入社し、アニメーター、演出家として活動。
1987年7月25日、世界が変わってしまった。いや、彼が変わってしまった。

「こんな恐ろしい思いをしたことは今までなかった。あったとしたらそれは誕生の瞬間だろう。(中略)人は生まれる時に、生涯最も恐ろしい体験をしているので、「死」を含めて大抵の恐怖には耐えられるのかもしれない。僕は誕生の恐怖をもう一度味わったのだ。」(116ページ)

著者自ら「発狂」という章題をつけているところの一節である。発狂したその日にいかなることが起き、何を考えたのかが克明に描かれている、まさにこの本の白眉と言っていい章だ。なるほど、統合失調症の人にはこういうふうに世界が見え、感じられるのか。
もっとも、この人の一文を持ってして普遍化してしまうことはできない。あくまでもここに書かれていることは個人的な行動、個人的な思いにすぎない。そのへんは忘れてはならないことだと思う。
それを踏まえて読むと、誠に興味津々たる「稀有な記録」であることは確かだ。全体的な文章も決してプロの作家のように上手いとはいい難いが、分かりやすく読みやすいし、きちんとしている。文章そのものはとても精神に異常をきたした人のものとは思えない。
ただし、その中身はやはり特異としか言いようがない。発狂する前の日々について書かれたところから既にどこか異常なところが見え隠れする。著者の妄想、思い込み、意味不明な陰謀論が時折顔を出している。
身の回りの他人の言動も記録しているのだが、それらもどこか常軌を逸しているようで、本当に周りの人がこんなことやったのか、言ったのか信憑性に欠ける。

著者が、統合失調症を発症した原因といったことについてはよく分からないようだ。あまり幼少期に原因を求めることもないようだし、家庭環境や職場環境も発症に結びつくような要因ではないようだ。
1980年代後半、とんねるずやおニャン子クラブが好きな若者はごく当たり前にいたわけで、著者も誘われておニャン子クラブのコンサートの行ったりしてしている。そこで刺激を受けて、「おニャン子クラブのアニメを作ろう!」と一念発起して、徹夜して企画書を書いたりするまでは微笑ましい。ところが、実際に進行中のアニメの仕事をほっぽってしまったり、さらにはおニャン子から話が膨らみ、「アニメーションで体制を変える」さらには「体制を変えてからアニメーションを作る」というところまで行ってしまう。おニャン子からの流れで政治へというのは本人以外には全く理解不能な思考であり、そういうところが随所に出て来る。
つまり文章そのものは読みやすく分かりやすいのにその中身は理解できない、という興味深いが同時に恐ろしい文章なのである。

この本で一番面白いのは、その「発狂」までの日々を記録したところであり、精神病院に入院したあとからはいささか感じが違ってくる。病院内のことはさほど詳細に書きたくないのか、忘れたのか、あまり出てこない。自分が病院で医者や看護師に暴力を振るったことは認めているので相当の修羅場があったものと想像されるが、それ以上は書いていない。
後半は、自分の体験記というよりもコリン・ウィルソンなどの読書感想文やさまざまな妄想の記述になり、前半とはかなり趣が違う。こちらの方も著者の独特な思想が窺えてこれはこれで興味深く読んだ。


ボクには世界がこう見えていた―統合失調症闘病記 (新潮文庫)
新潮社
2011-10-28
小林 和彦

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