「フランダースの犬」 何のために、こんな悲しいお話があるの?

児童文学「フランダースの犬」A DOG OF FLANDERS 1872年 ウィーダ著 村岡花子訳 新潮文庫 1954年4月15日発行 1988年10月20日49刷改版 2003年3月20日70刷
2011年8月12日(金)

この前、テレビで実写版の「フランダースの犬」を観た。傑作とは言い難いが、非常に興味深い映画であった。それで何となく原作と比較してみようと思い立ち、新潮文庫版の村岡花子訳のものを買い求め、読んでみることにした。
この本には、「フランダースの犬」と「ニュールンベルクのストーブ」の二作品が収録されている。

「フランダースの犬」は文庫60ページ程の分量しかなく、あっという間に読めてしまう。短編と言っていいだろう。この短い原作から長時間のアニメになったり、映画になったりしたのだから驚きである。日本人好みのもの、と言ってしまうのは簡単だが、アメリカでも何度も映画化されているところをみると、アメリカ人もこの話がそんなに嫌いじゃないと思う。実際今回観た映画はアメリカ製でしっかりした大人の有名俳優を脇に据えて、ロケなどもかなり本格的で安っぽくはなかった。もちろん、原作とは色々変えて作られているが、その変え方が面白かったのでいくつかポイントを取り上げてみよう。

映画の冒頭、赤ん坊のネロを抱えた母親が自分の父親(ネロから見ると祖父)の家にやってきて、ネロを託すと死んでしまうというドラマティックなシーンがある。だが、原作にはそんなシーンはなく、単にネロが二歳の時に母親が死んでネロの祖父が引き取ったとあるだけである。
ネロとパトラッシュ(この本の訳ではパトラシエ)の出会いはほぼ同じだが、映画ではもとの飼い主がネロにいちゃもんをつけてきたのでパトラッシュがその男を殺してしまう、という悲劇的展開になる。一方、原作ではそんなことは起きない。ただ、こんなくだりがある。

「しあわせなことに、パトラシエの前の主人はメクリンの祭日で、酔っぱらって喧嘩し、殺されてしまったので、パトラシエはさがし出されて、あたらしい愛する家庭生活をかきみだされずにすんだ。」(21ページ)

つまり、映画の脚本家は原作のこの部分にネロとパトラッシュ(パトラシエ)を絡ませてみたのだ。これはなかなかうまいアイディアだと思う。

他にもいろいろある。ネロの才能を見込んで何くれとなく世話してくれるミシェルという画家が映画には登場するが原作には存在しない。ミシェルという名のきこりをモデルにしてネロが絵を描くという記述があるので、脚本家はそのミシェルの名前だけいただいたのだろう。
原作では絵画コンクールにネロが出品するのはそのきこりのミシェルの絵だが、映画ではネロが出会ったサーカスの人々の絵だ。原作ではサーカスの人々は存在しない。
映画のクライマックスでは放火の疑いの晴れたネロの行方を町のみんなが探すが、原作ではアロアもその父親も町の人々も探したりしない。「明日になったら謝ろう」と思うだけなのである。そもそも、ネロが住んでいた家を追い出されたことも知らないのだから仕方ないか。
映画のラストは、なんとルーベンスその人がネロの前に現れるという荒業で楽しませてくれるが、原作ではもちろんなし。アニメのように天使が現れることもない。
ちなみに映画ではネロの年齢も祖父の年齢もハッキリしないが、原作では、祖父が80歳の時に2歳のネロを引き取ったとある。そして、ネロ15歳の時に祖父が亡くなるのだから祖父は享年93ということになる。19世紀の人としてはかなりの高齢だ。ネロも15歳にしてはいささか考え方が現実離れしているような気がする。絵だけじゃなくてちゃんとした働き口はなかったものか。

映画の方が色々工夫してドラマティックにしているのだが、原作はあまり面白おかしい、という感じではない。原作を読んで強く感じられるのはリアリズムである。子供を主人公にしていながら甘さがなく、厳しい現実世界の姿のみを執拗に描いている。貧困というものがいかに辛く、また未来を閉ざすものなのか。また、児童福祉とか教育を受ける権利などが全く存在しない社会の問題点。さらに、犬が愛玩物ではなく、労働のために酷使される実情。公正であるべき絵画コンクールに情実が入り込み、全ての人に開かれてしかるべき教会がちっとも救いになっていない。メロドマティックにならずにかなり強烈にストレートに著者ウィーダは訴えている。

ウィーダの文は結構、容赦なく辛辣である。
「フランダースは風光明媚の土地ではなく、ルーベンスの住んでいた町の周辺はとりわけ美しくなかった。」(22ページ)
「ルーベンスなしでは、アントワープはどうであろうか?波止場で取引をする商人のほかは、だれ一人見むきもしないきたない、陰気なごみごみした市場にすぎないのだ。」(26ページ)
そこまで言うか、という感じ。フランダースの人々は、この小説が嫌いだと何かで読んだことがあるが、無理からぬことかな、思う。
ネロの絵の才能についても「あるいは呪いといったほうがよいのかもしれないが」(30ページ)と突き放している。
そうか、呪いか。なまじ才能をもったがゆえにより不幸な人生を歩んでしまった少年の話、ととらえるとこれは一種の怪奇小説でもあるな。村岡花子の解説によると、ウィーダは「一体に魔術的な、怪奇なストーリーを書く傾向があった」(162ページ)らしいのでそういう捉え方もありかもしれない。この小説のラスト4行も見方を変えると実に怖い。

併録の「ニュールンベルクのストーブ」は「フランダースの犬」の救いのなさとは正反対の後味のいい作品。ここでも貧しくても心豊かな少年が主人公だが、不思議な冒険の果てに幸福をつかむ、というストーリーになっている。
最後に王様が現れて、めでたしめでたし、というのはあまりに都合よすぎるが、そこがこの作品の良さなので文句を言う気にならない。ストーブを話の中心に据えたアイディアがとにかくユニークで愉快。心に残る作品。ウィーダの他の作品、特に「魔術的な、怪奇なストーリー」の作品が読んでみたくなった。
フランダースの犬 (新潮文庫)
新潮社
ウィーダ

amazon.co.jpで買う
Amazonアソシエイト by フランダースの犬 (新潮文庫) の詳しい情報を見る / ウェブリブログ商品ポータル


ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック