「僕の村は戦場だった」 水・林檎・樹・少年

DVD(映画)「僕の村は戦場だった」1962年 ソ連 監督:アンドレ・タルコフスキー 原作・脚本:ウラジミール・ボゴモーロフ 脚本:ミハイル・ババワ 出演:ニコライ・ブルリャーエフ ワレンチン・ズブコフ エフゲニー・ジャリコフ イリーナ・タルコフスカヤ 上映時間95分 DVD仕様:2枚組 日本語字幕版・他もあり 映像特典:スタッフ、キャストへのインタビュー
2011年6月3日(金)鑑賞(日本語字幕版)

再見。いや三回目か4回目か。大抵の映画を一回しか観ない僕にしては珍しい例だ。テレビでも観たが、1978年9月2日(土)京橋のフィルムセンターで観た時の感動が忘れられない。ちなみに入場料200円。

今回久々に観た雑感を書き留めておく。

「僕の村は戦場だった」というのは歴史に残る名邦題だ。確か南部圭之助がこのタイトルをつけたということを本人の南部圭之助の文章で読んだ記憶がある。
原作小説は未読だが、原題は映画と同じ「イワンの少年時代」という意味のものらしい。原作はともかくとして、この映画に「イワンの少年時代」というのは少しおかしくないか。普通、こういうのって大人になった人物の回想で少年時代を描くものなのだが、回想も何もイワンは少年時代の最中に亡くなっているのだから。一種の皮肉なのだろうか、少年時代の思い出の物語と思っていたら主人公が死んじゃったという。

いつみても思うのだが、この映画にあの女性兵士って必要あるのだろうか。丸顔でぽっちゃりしたアイドル顔で超絶可愛いのは確かだが、彼女が出て来ると、突如としてラブコメになったように思えてしまうのだ、いつも。
しかも主人公のイワンとの絡みが全くないと来ているのだから、本当に何のために出ているのかさっぱりわけがわからないよ。
タルコフスキーはやたら高踏的とか前衛的とか難解とか言われているが、結構この手の甘いところが目立つ。本質的にロマンティックなんだろう。のちにそれで「惑星ソラリス」をめぐってレムと大揉めしているのだが、それは別の話。

映像特典の出演者インタビューの中で「フルシチョフがこの映画を観て、ソ連は子どもをそんなこと(敵地偵察)に使ったりはしない、と激怒したので国内ではこの映画が評価されなくなった。」とあるのが面白かった、というか怖かった。政治的指導者の鶴の一声で映画が抹殺されるなんてことが簡単にあった国なんだな、ソ連は。今さらだけど。

タルコフスキーって結構えげつない描写もある。まあ戦争映画だから綺麗事だけ描くわけにはいかないだろうが。
対岸に放置された首つり死体二体は結構インパクトあるが、ラストに出て来るゲッペルス一家の自殺死体の映像はものが本物だけにそれより遥かにインパクトがある。それまでタルコフスキーの映像美を楽しんできて、このラストに至って何故かゲッペルスという固有名詞とともにあまりにも有名なあの凄惨な記録映像をもってくるのはどのような意図なのか。ソ連当局からこれを使うように要請(命令?)があったのだろうか。それともタルコフスキーの発案なのか。それが知りたいと思う。

イワンのお母さんの腋毛に初めて気づいた。
イワンの妹(幼女)が、上半身裸なのは現代なら物議を醸すところだろう。


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