「ぼくはお城の王様だ」 いじめの果てに

小説(児童文学)「ぼくはお城の王様だ」I’M THE KING OF THE CASTLE 1971年 イギリス スーザン・ヒル著 幸田敦子訳 講談社 2002年5月20日第1刷発行
2011年5月3日(火)読了

傑作。
だが、これほど読んでいるあいだに不快な気持を抱かせる小説もあるまい。さらに読み終わった読後感も最悪である。読者に対して終始一貫して嫌がらせといじめをしているようなまことにたちの悪い小説だ。だが、滅茶苦茶面白い。

ウェアリングス館に父親と二人きりで暮らす少年エドマンド・フーパー、11歳。その館に「内輪の家政婦」として雇われた母と共にやってきた同年齢の少年チャールズ・キングショー。初対面からキングショーに反感を抱いたフーパーは、居丈高に振る舞い、キングショーを攻撃するようになる。耐えきれなくなったキングショーは館から家出するのだが、そのあとを追ってきたフーパーと一緒に森に迷い込んでしまう。
子どもが森の迷い込む冒険譚というと、スティーヴン・キングの「トム・ゴードンに恋した少女」を思い出す。てっきり、反発しあっていたフーパーとキングショーが森で遭難したことによって友情に目覚めるというような感動話かと思っていたら、全く違っていた。この小説の約半分くらいで遭難話はあっさり終わってしまう。そして、友情に目覚めるとか、命の大切さに気付くとかいうことはかけらもないのである。苦難を共にしたのだから、登場人物に変化とか成長が見られるというのが普通だと思うのだが、作者のスーザン・ヒルは普通じゃないのでそんなありきたりの展開にしない。
ふたりの人間関係はむしろ悪い方に変化して行ってさらにそれがエスカレートしてしまう。
スーザン・ヒル、つくづく底意地が悪い。その上、とにかくネチネチとしつこくしつこく描いていく粘着質な文章が読んでいていたたまれない気がする。
後半は、フーパーのいじめに加えて家庭環境の変化があり、どんどんキングショーが追い詰められていく様子が微に入り細に入り描かれていて実にリアリティーがある。ラストでキングショーがとる行動も説得力があり、というかこれ以外の行動とれないだろう、とまで思わせてしまう。

読み終わると、いじめっ子フーパーはもちろんだが、いじめられっ子キングショーもまるで同情も共感も出来ない。被害者であるはずなのに何となく反感を覚える。キングショーの立ち回り方がとにかくお粗末に見える。フーパーを籠絡する手はもっとあったのではないかと思えてならない。フーパーだって、単なる暴君じゃなく弱いところがいっぱいある人間なのだから、なんとかできたんじゃないのか。なんとかできないのがいじめられっ子だ、と言われればそれまでだが。僕もいじめられっ子だったからなおさらキングショーの行動と考え方が歯がゆくてならない。

スーザン・ヒルのあとがきによると、この小説はイギリスで、中等教育修了試験の課題図書になり、学校で教材として多く使われている、ということだ。うーん、これ学校で取り上げるっていかがなものか。中学生が読んで、フーパーとキングショーについて語りあったりもするのかな。びっくりだよ。
ヘルマン・ヘッセの「少年の日の思い出」が、トラウマだなんて言っている僕は全く甘いな。




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講談社
スーザン ヒル

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