「美食倶楽部 谷崎潤一郎 大正作品集」 30人の由良子

小説(短編集)「美食倶楽部 谷崎潤一郎 大正作品集」1989年 種村季弘編 ちくま文庫 1989年7月25日第1刷発行 2006年10月15日第5刷発行
2011年4月17日(日)読了

やっぱり谷崎潤一郎は面白い。この短編集はタイトル通り、大正時代に発表された作品を収めたもので編者の種村季弘のセレクトの良さが光る。一つとして駄作がない。
ただそれでも後年の「文豪」とか「大谷崎」と呼ばれたころの作品に比べて文学的完成度が低いことは認めざるを得ないだろう。アイデアもストーリーも文章も俗悪で安っぽい、という感じがする。だが、逆にそこが大いに気に入った。俗悪を恐れず何でも書いてやろう、という谷崎の姿勢が実にいい。作品はヴァラエティーに富み、自由奔放な奇想に満ちている。今でいうところのファンタジー、ホラー、ミステリのジャンルに入るようなものが多いが、小さなジャンルに収まらないスケールの大きさがある。つくづく凄い作家だ、谷崎潤一郎は。

一つ一つ感想を書いておく。ちなみに全8編収録。
「病蓐の幻想」大正5年(1916年)発表
傑作。数年前に読んだ時も面白いと思ったが、2011年3月の東北大震災が起きたあとで読むと、何倍も面白いし恐ろしい。
人並み外れて肥満している男が歯痛から妄想を繰り広げていく。歯をピアノに見立てたり色彩を感じたりする奇妙奇天烈な妄想がまずユニークだが、次第に妄想は地震に関するものにシフトしていく。
とにかく主人公の男は地震が怖いのである。少年時代に体験した地震のトラウマが残っていてただひたすら怖い。あまりに怖いと思いつめているうちについに今夜、地震が必ず来ると思い込むようになる。ただ、この男はどうやらインテリのようでただ妄想に駆られているだけではなく、どうやったら地震からわが身を守れるか、こと細かくシミュレーションしてみる。その辺の合理的で具体的な思考は今読んでも実に腑に落ちる面白さである。単なる神経衰弱の妄想男の話ではない。そこがいい。痩せていかにも神経質そうな病弱な男というありきたりと正反対のデブ男に設定したのもうまい。
ちなみにこの主人公はどうやら谷崎自身と年齢が同じくらいの設定であるようだ。当然ながら男が少年時代に体験した地震を谷崎も体験している。もっとも作中では明治26年7月と書かれているのだが、現実の明治東京地震は明治27年6月に発生している。あえて変えたのかな。
現実と言えば、この小説が書かれた7年後に関東大震災が起きている。もし、この主人公が遭遇したらどんな対応をしただろうか、と考えると興味深い。
興味深いと言えば、作中にこんなセリフがあった。

「九月になったのに何ていう暑さだろう。これじゃ土用の内よりもよっぽど非道いわ。事によると地震でも揺るのじゃないかしら。」

関東大震災が起きたのは、大正12年9月1日である。なんという予見力か。

「ハッサン・カンの妖術」大正6年(1917年)発表
作者自身を思わせる作家が、奇妙な印度人に出会い、世にも不思議な体験をする、という話。私小説のような現実的なストーリーが突然、非現実に転換するのが面白い。そして、こういうファンタジーの形で吐露される谷崎の「思い」がラストで明らかになるところに感動した。
謎の印度人が、吉原の角海老に足繁く通っているというのがちょっと笑いを誘う。店名は同じだが、今、吉原にあるソープランドの角海老とは別だと思う。

「小さな王国」大正7年(1918年)発表
傑作。尋常小学校5年生に新たに入ってきた一人の生徒が、次第にカリスマ性を発揮し、人心を掌握し、ついには学年全員を自らの支配下に置くという話。学園ホラーかSFによくありそうなストーリーだが、既にこの時代に書かれていたというのが何とも驚きである。担任教師の視点から描かれているのも効果的で特にラストのオチが抜群にうまい。
それにしても、大正時代の尋常小学校の生徒が「国家」を作り、内閣を作り、法律を作り、しまいには紙幣まで印刷して発行するという発想がぶっ飛んでいる。民主的な独裁政治というところか。ユーモアもあり、ホラーとしても読める逸品である。

「白昼鬼語」大正7年(1918年)発表
俗悪な小説だが、何となく開き直っている感じが好印象。ポオの「黄金虫」の暗号文に始まって、次から次へと、「こんなことありえないだろう」という猟奇的で荒唐無稽な出来事の連続で呆れていると、何とも脱力感を抱かせるオチに至る。まあ、このオチ以外にまとめようがなかったのはよく分かる。全編にわたって「高等遊民」の暇つぶしとでもいうしかないストーリーであり、後の江戸川乱歩に多大な影響を与えたと推測される。
文章は実に読みやすく、話は面白おかしい。単なる娯楽小説だけを書いていても谷崎は第一人者になっただろう、と思わせる。

「美食倶楽部」大正8年(1919年)発表
「白昼鬼語」が、猟奇的殺人に並々ななる興味を示す「高等遊民」の話なら、こちらはまさにタイトル通り、美食に血道をあげる度し難い「高等遊民」の話である。
結局、谷崎はプロレタリア文学などに登場する労働者や一般人にはまるで興味がないのであろう。少なくともこの短編集に登場する人物は、奇矯で変態で妄想癖があり、快楽を追い求め、労働をせず、怠惰でモラルに欠けるような人物ばかりである。ここまで徹底するといっそすがすがしい。
この作品もバクチと美食にしか関心がないろくでなしのみなさんが登場する。大正時代に既にこんなにグルメが存在したというのも驚きである。ただ、なにぶんまだ交通網が発達してない時分だから、突然、思いついてみんなで東京から京都まで「すっぽん」を食べに行くのも夜汽車に乗って長時間の長旅なので大変だ。その辺がとても面白く描かれている。
話は、この世の中の最高の料理を探すという展開になり、ラストは現実を越えてファンタジーの領域に入る。最高とか究極を目指すと畢竟そうならざるを得ないのだろう。ラスト3行が辛辣である。

「或る調書の一節 ━対話」大正10年(1921年)発表
今だとさしづめ「サイコミステリ」というジャンルに入るだろう作品。とても90年前に書かれたと思えない先鋭的な内容の作品であるが、人間というものが90年前も今もさほど変わっていないとも受け取れる。
殺人を始めとする様々な悪業を重ねてきた男が告白する「心の闇」の話、タイトル通りに調書の対話形式になっている。人間としての最低限のモラルと言ったものが完全に欠落した男が、心によりどころにしている存在について語る。いわく言い難い人間という生き物の心の不思議さを垣間見せてくれる。傑作。

「友田と松永の話」大正15年(1926年)発表
友田と松永という謎めいた二人をめぐる話。体型が全く違うこの二人が実は同一人物ではないか、という疑いから話が展開するのでミステリかホラーめいた決着がつくと思っていたら拍子抜けのラストである。現実的と言えば現実的ラストではあるが、「なんだかなあ」という感じは否めない。もっとも、谷崎はミステリ的な趣向で読者を引っ張っているが、あまりミステリそのものには興味がなさそうである。この作品では、それよりも西洋と日本という二つの存在の狭間で翻弄される一人の男の数奇な運命を描くことによって、この時代の日本人を表現したかったのではないか。
西洋への崇拝の気持ちと軽蔑の気持ち、日本への愛着と憎しみ、一人の男の中に渦巻く様々な感情をこんな形で分かりやすく見せることができる谷崎の手腕に驚く。もっとも、シリアスに見えて結構揶揄したような感じも受ける。体重の増減によって思考が変わるってやっぱりジョーク以外の何物でもない。
関東大震災前の横浜に外国人(白人)娼婦専門の娼館があったというのは興味深かった。大正時代の日本人が、白人女性を売り買いしていたというのは知らなかった。小説の中だけか。

「青塚氏の話」大正15年(1926年)発表
大傑作。この短編集のベストワン。とても85年前に書かれたと思えない話、今でも古くなっていないどころか、今だからこそリアリティーを感じるし、今読んでも衝撃的な作品である。
芸能人ストーカーであり、映画オタクであり、二次元フェチ、人形フェチでもあり、現実と妄想の境を逸脱した男の話である。とにかく、変態度が超弩級だ。何しろ、三十体の自作のダッチワイフに囲まれて生活している男なのだから。しかも、そのすべてが由良子という女優に似せて作られている。その作る過程での実地研究もまたとんでもない。おぞましいこと限りない。
でも、ここまで行かなくてもこの男のミニチュア版みたいな人間は2011年にもざらにいそう。アイドルオタクなんかにはとくにいそうだ。ただ、こちらはなにせ、1926年のことである。インターネットやおろかテレビだってありはしない。そんな時代にこんなマニアックな行為をやってしまう人間の恐ろしさと素晴らしさ。そう、方向性はかなりおかしいが、人間やる気になったら何でもできるものなのだということなのだ。
現実の肉体を持った女優の方こそが虚構であり、その女優に似せて作られたダッチワイフのほうが実像であるという倒錯した理論を滔々と語る男にいつしか共感しそうになる。
谷崎潤一郎こそが本物の偉大なる変態であると認識させられた作品である。

小説とは分かっているが、これってモデルになった人物とかいたのだろうか。いたとしても85年前だからまず死んでるだろう。でも、30人の由良子が今も京都のどこかの家で男が帰ってくるのを待っているような気がしてならない。





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