「肉体の悪魔」 少年の悲しみ

小説「肉体の悪魔」1923年 フランス レーモン・ラディゲ著 中条省平訳 光文社古典新訳文庫 2008年1月20日初版第1刷発行 2008年8月20日第2刷発行
2010年11月28日(日)読了

20歳で夭折したフランスの作家レーモン・ラディゲの小説。
初めて読んだ。傑作。感動した。

19歳の人妻マルトと16歳の少年「僕」(名前の表記はない)の恋愛とセックスのめくるめくような日々を描いて実に面白く、身につまされる。すっかり、主人公の「僕」に感情移入してしまった。
20歳のラディゲの書いた16歳の少年に現在53歳の僕が身につまされたり、感動したりというのはおかしいだろうか。いや、おかしくはないだろう。10歳で読もうが53歳で読もうが81歳で読もうがいいものはいいのである。
今回、読んでみて一番感じたのが、少年であることの悲しみであった。
確かに表面的には主人公の少年は自由奔放に生き、年上の女性との恋愛にも臆することなくのめり込む早熟さが際立っている。ところが、やはりまだ16歳の少年、社会的には子どもなのである。結局は親の庇護に下で生活するしか術がなく、さまざまな制約がある。ホテルにさえ一人では泊まることができない。小説の終盤、マルトと「僕」が夜のパリをさまようくだりの無力感がこちらに強く伝わってくる。
「僕」は決して「恐るべき子ども」ではないのである。無力で孤独で純粋で美しい子どもなのだ。
一人称で書かれたこの小説は、そんな子どもの肉声をじかに聞いているようなリアルさがある。ストーリーの陳腐さなど問題とするに当たらない。僕を感動させるのは、「僕」の鋭すぎる感受性から生み出される言葉の数々である。
不倫の話なのにこんなに清潔感がある小説もあるまい。

不思議なのは、相手の女性マルトのイメージがまるで浮かばないことだ。普通の恋愛小説だと微に入り細に入り女性を描き、その魅力をアピールするはずなのだが、この小説では一向にマルトが魅力的に見えてこない。「僕」の恋愛感情はこれでもかと書かれ、「僕」のついては微に入り細に入り描かれているので、「僕」は実に魅力的なのだが。

最後の1ページには驚いた。レーモン・ラディゲは凄い技巧派である。マルトが残したある言葉の意味をマルトの夫と「僕」がそれぞれ違うように解釈しているという皮肉で残酷でしかも希望が垣間見えるという超絶技巧が見事に決まっている。素晴らしい。小説の締めくくりとして誠に鮮やかである。

ユーモアのセンスもあり、冷静さも情熱的な部分もある。20歳にしてラディゲはすでに完成されていたのだ、という気がする。

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