「ふしぎの国のアリス」 あたしの知ったこっちゃないもん

小説(童話)「ふしぎの国のアリス」ALICE’S ADVENTURES IN WONDERLAND 1865年 イギリス ルイス・キャロル作・絵 北村太郎訳 王国社 1987年2月10日初版発行 1989年12月25日第5刷
2010年5月2日(日)購入 高田書店(西新井・古本屋) 価格400円
2010年5月7日(金)読了

先日、ティム・バートン監督の映画「アリス・イン・ワンダーランド」を観た。色々と不満の残る出来栄えの映画であり、それゆえルイス・キャロルの「ふしぎの国のアリス」と比較検討したくなった。何しろ30年前に読んだきりで読み返していないのでこの機会に読もうと近所の高田書店の棚にあった王国社版の「ふしぎの国のアリス」を買い求めて読んでみた。

いやー、これは驚いた。例によって何の予備知識もなく、訳者のあとがきを先に読むこともなくいきなり本文を読んだら、これはどうしたことか、昔読んだアリスとは別人のアリスがいるではないか。アリスってもっと言葉遣いが上品じゃなかったかなあ。こんな乱暴な言葉遣いだったかなあ。
何しろ、「ああ、ヤバかった!」とか「最悪だな、こりゃ」とか「あたしの知ったこっちゃないもん」とかアリスが言うのだ。アリスが19世紀の少女ではなく、現代っ子(死語)のコギャル(死語)になってしまった。訳者の北村太郎は思い切ったことをやったもんだ。言葉遣いを変えただけでアリスのキャラ自体も変わったように思えるのだからこれは実に大胆な実験である。
驚いたけどこれはこれでありかな、という気がする。なんたってふしぎの国のおはなしだもの何でもありでいいじゃないか。次から次へと起きる様々な出来事、次から次へと現れては去っていく奇妙奇天烈な生き物たち、それらに対抗するにはこのくらいパワフルなアリスでなくちゃ勤まらない。

それにしても久々に読んだけどこれはとんでもない童話だ。何しろ教訓じみたことがまるでないし、起承転結もないし、クライマックスで盛り上がるということもない。主人公のアリスが人間的に成長するわけでもなく(大きくなったり小さくなったりはするが)、アリスによってふしぎの国に何らかの変化が訪れるわけでもない。狂った女王が出てくるけど別に王室批判の意図はないだろうし、絶滅動物のドウドウ(昔の訳ではドードーだったはず)が出てくるが、別に環境保護を訴えているわけでもないだろう。
ストーリー展開の面白さというのもない。ただただ次のページでどんな変なことが起き、どんな変なキャラが出て来るかという興味で引っ張っていくのみ。あとは「言葉遊び」だが、これは翻訳では到底楽しめない部分だ。

この本を読むとティム・バートンに少し同情的になる。これを忠実に映画化するなんて到底不可能だ。常識人ティム・バートンはあえて不可能に挑まず、極めて常識的な分かりやすくまとまりのいい映画にした。それはそれでいいんじゃないのと思えてきた。だって、ふしぎの国ではなんでもありだから。

この本ではルイス・キャロル自身の描いた挿絵37点が収録されている。キャロルの絵って初めて観た。下手と言えば下手なんだが、妙な禍々しさがあり面白い。諸星大二郎の絵を思い出した。似ているように思う。

宮崎駿の「千と千尋の神隠し」をもう一度観たくなった。あれは宮崎駿版「ふしぎの国のアリス」じゃないかという気がしてきた。

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