「ノーカントリー」 デウス・エクス・マキナ
映画「ノーカントリー」2007年アメリカ 配給ミラマックス(アメリカ)パラマウント ショウゲート(日本) 監督ジョエル&イーサン・コーエン 原作コーマック・マッカーシー 脚本ジョエル&イーサン・コーエン 出演トミー・リー・ジョーンズ ハビエル・バルデム ジョシュ・ブローリン ウディ・ハレルソン ケリー・マクドナルド 上映時間122分
映画はいきなり殺し場から始まる。異様な男による殺しが立て続けに2件。しかも2件目は、エアガンの付いた酸素ボンベという異様な凶器が使用される。ここで観客である僕は、一気に惹きこまれていく。見事な掴みである。
場面が変わって、ひとりの男が偶然に死体転がる犯罪現場に遭遇する。彼はそこにあった多額の現金を持ち逃げする。その金を取り戻すため異様な男が、追跡を開始する。
こういう風に粗筋を書いてみると普通の犯罪サスペンスのストーリーなのだが、この作品は一味違う。何処か不条理劇のような感触がある。理詰めでは割り切れない「外した」感じがする。所々ご都合主義と言い切れない妙なところがある。
例えば現金を持ち逃げした男モス(ジョシュ・ブローリン)が、何故か現場に戻ってしまう。瀕死の男に水をやるためなのだが、どう考えても無謀すぎる。案の定、他の者に見つかり、自分の自動車を現場に残したまま、逃亡する立場になる。
又、逃亡したモスが現金の隠し場所には拘るのに、肝心の現金を全部チェックしないのも変。調べればすぐ「異物」に気づくはずなのに。
犯罪現場に自動車を残してきたのに捜査当局の動きがないようなのも不思議。せりふでは、麻薬局が捜査しているようだが、画面に映るのは保安官(トミー・リー・ジョーンズ)の行動のみ。組織犯罪絡みなのだから、モスの妻(ケリー・マクドナルド)を保護すべきだろう。それをやらないからクライマックスの悲劇を招いてしまった。
だが実の所、この作品は犯罪捜査ものの映画ではない。だから以上のような妙なところもあえてやっているのだと考えるべきだ。そこに狙いがあるのではないか。
正直僕は、モスが何を考えているかが分らない。説明的せりふがまるでないので、先に挙げた彼の行動の矛盾点が分らない。善人にもなりきれず、悪人にもなれず、行動は慎重かと思えば、間の抜けた所もある。いわば凡人なのだが、彼が命を狙われる立場になってもあまり感情移入できないのは何故だろう。先に書いたように彼が何を考えてるか分らない事、それと彼を追う異様な男シガー(ハビエル・バルデム)があまりに魅力的に描かれているせいだ。
オカッパ頭で大きな酸素ボンベを持つ殺し屋というリアリティーの欠片もないキャラクターに命を吹き込んだのは、コーエン兄弟の演出とバルデムの怪演によるものだ。こんな奴に狙われたら絶対に命はないという凄味がある。昔馴染みのカーソン・ウェルズ(ウディ・ハレルソン)がシガーを「ユーモアのわからない人間」と評しているが、そんなことはない。シガーのユーモアのセンスが他人には全く理解できないだけだ。コイントスで他人の生死を決めたり、目の前で人を殺しておきながら、目撃者に「顔を見たか?」と尋ねたり、独特のユーモアを感じる。
このシガーとモスの追う者と追われる者の攻防が非常に面白いのだが、クライマックスの展開には疑問を感じた。シガー、モス、モスの妻、保安官等の登場人物が国境の町エルパソに集まり、さあ凄いアクションが始まると思ったら、観客が見せられるのは事後の様子のみ。クライマックスの盛り上げなんかまるで考えずにスルーされた。単なる娯楽アクション映画にはしないぞ、というコーエン兄弟の目論見にはぐらかされた様な気がする。追う者と追われる者がエルパソに集まり銃撃戦を繰り広げる「ゲッタウェイ」(サム・ペキンパー監督)とは真逆だ。
ただこのあとに非常に印象的なシークエンスがあるので、クライマックスの盛り上げがなくても納得させられてしまう。ここでシガーに起きたアクシデントで彼がモンスターでもなく、運命を支配する機械仕掛けの神でもないことが分ってしまう。立ち去るシガーの後姿はこの映画のベストショットであり、当分忘れられないものになりそうだ。
3月16日 日比谷スカラ座にて
映画はいきなり殺し場から始まる。異様な男による殺しが立て続けに2件。しかも2件目は、エアガンの付いた酸素ボンベという異様な凶器が使用される。ここで観客である僕は、一気に惹きこまれていく。見事な掴みである。
場面が変わって、ひとりの男が偶然に死体転がる犯罪現場に遭遇する。彼はそこにあった多額の現金を持ち逃げする。その金を取り戻すため異様な男が、追跡を開始する。
こういう風に粗筋を書いてみると普通の犯罪サスペンスのストーリーなのだが、この作品は一味違う。何処か不条理劇のような感触がある。理詰めでは割り切れない「外した」感じがする。所々ご都合主義と言い切れない妙なところがある。
例えば現金を持ち逃げした男モス(ジョシュ・ブローリン)が、何故か現場に戻ってしまう。瀕死の男に水をやるためなのだが、どう考えても無謀すぎる。案の定、他の者に見つかり、自分の自動車を現場に残したまま、逃亡する立場になる。
又、逃亡したモスが現金の隠し場所には拘るのに、肝心の現金を全部チェックしないのも変。調べればすぐ「異物」に気づくはずなのに。
犯罪現場に自動車を残してきたのに捜査当局の動きがないようなのも不思議。せりふでは、麻薬局が捜査しているようだが、画面に映るのは保安官(トミー・リー・ジョーンズ)の行動のみ。組織犯罪絡みなのだから、モスの妻(ケリー・マクドナルド)を保護すべきだろう。それをやらないからクライマックスの悲劇を招いてしまった。
だが実の所、この作品は犯罪捜査ものの映画ではない。だから以上のような妙なところもあえてやっているのだと考えるべきだ。そこに狙いがあるのではないか。
正直僕は、モスが何を考えているかが分らない。説明的せりふがまるでないので、先に挙げた彼の行動の矛盾点が分らない。善人にもなりきれず、悪人にもなれず、行動は慎重かと思えば、間の抜けた所もある。いわば凡人なのだが、彼が命を狙われる立場になってもあまり感情移入できないのは何故だろう。先に書いたように彼が何を考えてるか分らない事、それと彼を追う異様な男シガー(ハビエル・バルデム)があまりに魅力的に描かれているせいだ。
オカッパ頭で大きな酸素ボンベを持つ殺し屋というリアリティーの欠片もないキャラクターに命を吹き込んだのは、コーエン兄弟の演出とバルデムの怪演によるものだ。こんな奴に狙われたら絶対に命はないという凄味がある。昔馴染みのカーソン・ウェルズ(ウディ・ハレルソン)がシガーを「ユーモアのわからない人間」と評しているが、そんなことはない。シガーのユーモアのセンスが他人には全く理解できないだけだ。コイントスで他人の生死を決めたり、目の前で人を殺しておきながら、目撃者に「顔を見たか?」と尋ねたり、独特のユーモアを感じる。
このシガーとモスの追う者と追われる者の攻防が非常に面白いのだが、クライマックスの展開には疑問を感じた。シガー、モス、モスの妻、保安官等の登場人物が国境の町エルパソに集まり、さあ凄いアクションが始まると思ったら、観客が見せられるのは事後の様子のみ。クライマックスの盛り上げなんかまるで考えずにスルーされた。単なる娯楽アクション映画にはしないぞ、というコーエン兄弟の目論見にはぐらかされた様な気がする。追う者と追われる者がエルパソに集まり銃撃戦を繰り広げる「ゲッタウェイ」(サム・ペキンパー監督)とは真逆だ。
ただこのあとに非常に印象的なシークエンスがあるので、クライマックスの盛り上げがなくても納得させられてしまう。ここでシガーに起きたアクシデントで彼がモンスターでもなく、運命を支配する機械仕掛けの神でもないことが分ってしまう。立ち去るシガーの後姿はこの映画のベストショットであり、当分忘れられないものになりそうだ。
3月16日 日比谷スカラ座にて
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